医学講話

ノーベル賞とセレンディピティ

福祉村老人保健施設ジュゲム所長、元東京大学助教授・医学博士 金井 芳之

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毎年十月はノーベル賞が話題になる。
即物的ではあるが、日本人の候補者かマスコミがこぞって予想を立てるのが恒例事業になっている。小生は医師として、物理化学にも興味はあるが、やはり注目するのは生理学・医学賞(医学・生理学賞は正しくない)である。今年は英国のジョン・オキーフ他二名に授与された。内容は地理学上での立ち位置、自分が何処に居て何処に行くのかその方向を決める「場所細胞」の発見である。それは今、認知症で有名になった海馬にあるそうだ。これは到底小生の解説には及ばない領域である。巷の予想もさすがにここまでは予想できなかったようだ。「場所細胞」が最初に提唱されたのが一九七一年で、四十年以上昔に遡る。最近のノーベル賞の単独受賞はほぼ皆無、最初の発見者または提唱者がいて、有能な後続者がその重要性実態を明らかにした時点でノーベル賞となるのが定番のようだ。今年のノーベル賞も共同受賞者(モーゼル夫妻)の「格子細胞」の発見が「場所細胞」の重要性を不動にした訳である。同様な事は二〇一二年の山中伸弥博士のiPS細胞にも当てはまる。共同受賞のジョン・ガードン博士が一九七五年に成功した「核移植実験」(図1)がなかったら、こんなにも早くiPS細胞のノーベル賞は実現しなかったと思われる。実はその核移植にも大変な紆余曲折があったようだが、その話は紙面の関係から割愛する。生理学・医学ノーベル賞は一九〇一年に始まり今回で九十九回目となる。年度と回数が合わないのは該当者なし、または大戦の関係である。以上の二つのノーベル賞は時の流れが受賞ならしめたとはいえ、偶然の発見や遭遇ではなく、必然性があったのである。これに対して偶然とそれを利用する卓抜なセンスによってなされ、ノーベル賞に値した研究もある。そのような現象(?)に「セレンディピティ」という表現がなされている。

セレンディピティ

先述のようにノーベル賞の対象となる研究は、例外はあるにせよ、最初の事象発見から長い年月を経るのが定番である。最初の報告に次ぐ、二の押し、三の押しがなければ、偉大な発見でも日の目をみずに終わる。まだ可能性はあるとして、京都大学名誉教授早石修先生がその典型例であろう。酸素添加酵素の発見とその重要性は「さわらび」でも幾度か書いた。時の流れと「運」が大きく作用するのだ。表題のセレンディピティという用語であるが、語源は英語のserendipity(SRDP)で一七五四年、イギリスで生まれた。日本語訳は、統一しがたいのであるが、「思わぬものを偶然発見する能力、ふとした偶然をきっかけにひらめきを得て、幸運を?み取る能力」が的をえているようだ。SRDPとノーベル賞との関係を調べてみると、九十九件の中で必ずしも多くないことが分かった。勿論徹底的に検索した訳ではないので正確性を欠くかもしれない。ただ言える事はSRDPに関係するものは発見以降比較的早期に受賞しているものが多いようだ。つまり他派に波及せず、最初の発見グループが主体で、研究が大成される例が多い。そして、古い例にみられるようだ。その理由に科学技術や機器が今より遅れていたことが考えられる。高感度の機器、あるいは今のように簡単に入手できる情報よりも自身の目や技術が大きく物を言った時代でもあったのだ。そこでその例を字数の許す範囲で揚げてみることにする。尚、人名はファーストネームのみとした。

ペニシリンの発見

この”事件”は現在のような無菌室や無菌装置のない時代であったからこその発見と言えよう。これは第一次世界大戦の頃の出来事である。傷病兵が次々と感染症で死亡、戦力補強のため感染症対策が急務であった。これが現在あたりまえになっている抗生物質開発の最初である。フレミングと言う化学者が寒天培地の入ったペトリ皿(シャーレ)で細菌培養をしていた時である。不注意にも窓を開けたらしい。後から寒天内に細菌の増殖が止まっている部分のあることに気づいた。研究の結果、空気中から混入したペニシリンという「カビ」の仕業であることを突き止めた。当時の科学のレベルでこのことを同定したことは大変な作業であったに違いない。大切なことは、細菌の増殖が止まったシャーレを失敗だとして廃棄しなかったところにある。そしてペニシリンは世界最初の抗生物質となった訳である。発見同定から約二十年後、この偉業は一九四五年にノーベル賞に輝いた。フレミングもメチニコフ(一九〇六年のノーベル賞)同様に、大事な現象を見過ごさないというセレンディピティで全く同じであった。

ヘリコバクター同定と胃潰瘍

一昔前までは胃潰瘍と診断されれば胃を2/3切除されるのが定番に近かったが、今では胃酸分泌を抑えるプロトンポンプ抑制剤とある種の抗生物質(マクロライド系)を服用すれば、ほとんどが胃を切除しないで治る時代になった。その理由は胃に生息するヘリコバクター・ピロリ(HP)という桿菌が胃潰瘍の原因であることがわかったからである。HPと胃との関連は古く、一八七五年にドイツの解剖学者が初めて胃内に螺旋状の細菌集簇を見つけていた。これもまた百年以上の年を経て、病理学者ウォーレンが胃の生検標本中に細菌の集簇を見つけ、それが炎症部位に集中して存在することを見い出した。それ以前にも他のグループが同様の所見を見い出し、単離培養を試みたが、成功しなかった。ウォーレンと師弟のマーシャルも同様の試みをしたが、失敗に終わった。何回か試みている中、丁度イースター祭に入り、培養基を放置したままにした。休暇明け、培養基を廃棄しようとしたところ、何と細菌が増殖しているのに気がついたのである。培養には偶然成功したが、この段階でHPが胃潰瘍の真犯人であるとは同定できなかった。HPが真犯人とわかったのは、勇気ある複数の医師たちがHPを試飲し、全員が胃潰瘍を発症したからである。HPと胃潰瘍との因果関係がこれで初めて実証された。この業績でウォーレンとマーシャルは二〇〇五年にノーベル賞を受賞した。これもメチニコフのマクロファージやペニシリンの発見と似たところがある。ヘリコバクターは怠慢(?)が幸運をもたらしたとも言えようが、三者とも偶然が結果に繋がったという点では共通していて、ヘリコバクターと胃潰瘍の因果関係の証明もセレンディピティと言えるであろう。

おわりに

偶然の出会いをそのままにしない。そしてそれを発展させてゆく能力、それが真のセレンディピティかもしれない。しかし、それがノーベル賞のような形に大成されるには時の流れと強運が絶対的だと思えてならない。紙面の関係で多くを語れなかったが、最初の発案者が実験系の限界で果たせなかったのが、科学技術の発展で可能になり、後の研究者がノーベル賞に浴する例もある。一九八七年に「抗体の多様性の分子機構」でノーベル賞単独受賞に輝いた利根川進博士がそれに該当するであろう。