「福祉」とは「幸せ」という意味。つまり、「福祉村」は「幸せ村」なんです。山本左近 「福祉」とは「幸せ」という意味。つまり、「福祉村」は「幸せ村」なんです。山本左近

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各界の著名人の方をお招きして、この国の福祉の未来について僕・山本左近がお話をうかがっていくこの企画。インタビューさせていただくのは僕の父であり、さわらび会の創設者である山本孝之理事長である。40年以上前から認知症に取り組み、そしてなぜ福祉村を作ったのか。こういう形で話を聞くのは少々気恥ずかしいけれど、父の言葉から、これからのさわらび会を背負って立つ人間として僕が何をすべきなのか、そして日本の福祉はこれからどうなっていくのかを、前後編の2回に分け、皆さんと一緒に考えていきたいと思う。

前編では、父が脳卒中の次は認知症患者のケアを生涯の課題にしようと決意し、特別養護老人ホームさわらび荘を作るまでの話を聞いた。ところで、父のこのような献身的なスタンスを作った原点とは何だろう。その答えとなるのが、小学校に入学した昭和9年のエピソードだ。この話は、僕もかつて父から聞いたことがある。

人への献身。その原点となった"氏神様の掃除"。

山本孝之(以下T):あれは小学校の入学式の日。晴れわたり、青く澄んだ色の空の下、桜の花びらがひらひらと舞い落ちてきたのを、今もよく覚えています。帰り道で母親に「孝之は今日から小学生。立派な一人前なのだから、これからはみんなの役に立つことをしなければいけないわね。近所の氏神様が汚れ放題になっているから、毎日掃除をしましょう」と言われたのです。その翌日から、雨の日も風の日も雪の日も、母と私、そして妹で、氏神様の掃除をしました。氏神様が豊橋の大空襲で焼けてしまうまで、11年間ずっと続けたんです。それが「世のため人のため」という考えが生まれた原点だった気がします。

山本左近(以下S):その話を聞くたびに、すごいことだと感心します。

T:昔の人には、朝起きたら氏神様にお参りに行く風習があって、近所の人はみんなお参りに行きました。そこが荒れ放題だったので、皆さんにもっときれいな氏神様にお参りしてほしい、という気持ちが母親にあった。冬でも雑巾がけをするので、手がすっかり霜焼けになってしまってね(笑)。

S:理事長のすごいところは「続けられる」ことだと思います。山本病院の院内報としてスタートした冊子「さわらび」は、もう40年以上続いている。理事長が機関誌さわらびを作ろうと考えたのは、どんな理由だったのでしょう。

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T:職員の皆さん同士で、お互いの仕事に対する理解を深め合ってほしいと思ったのです。組織が大きくなってくると、自分の職場以外のことがわかりにくくなる。同じ病院に勤めていて名前だけは聞いたがことあっても、どんな人かわからず、院内の情報も伝わってこない。そんなことが多々あったので、この病院がどんな状況に置かれていて、ここでどんな人がどんな考え方をして働いているかを知っていただこう、と思って始めました。

S:もちろん理事長がおっしゃったように職員の情報共有ツールでもありますが、同時に、理事長の考えや理念を職員に伝えたかったのではないかと思います。1号目の山本病院運営の目的と題して「私はお金儲けのために老人医療をやっているのではありません」という理事長のあいさつ文から始まり、現状とこれからの目標、今後すべきことなど書いてあるのですが、デイホスピタルやショートステイシステムが当時すでに自身で考えられ先駆的に実施されていたことに驚きました。
話は少しそれますが、今、国は「地域包括ケアシステム」という、医療と介護が連携する仕組みを2025年の完成をメドに作ろうとしています。それと同じことを、さわらび会は40年以上前からすでに実施している。地域包括ケアシステムと言われるずっと前から地域に根ざし医療と介護を連携させていたんです。誰からも理解されず大変だったと聞きますが、理事長たった一人、誰よりもずっと先を走っていて、今、時代がやっと追いついてきたんでしょうね。

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基本理念とは、組織にとって何より大切なもの。

山本左近(以下S):僕がよく覚えているのが、6歳か7歳の時に行われた介護老人保健施設「ジュゲム」の落成式でした。7階建ての真っ白なビルがとてもきらびやかで、見上げると、とてつもなく大きく見えた。その大きさこそが、いつも「友達と遊んでばかりじゃなく、勉強しろ!」と、厳しく叱る父の象徴でした。その時、僕は父の力をまざまざと見せつけられ人生のレールが見えた気がして、こう思いました。「このまま医者になって父の後を継いでも、絶対に父を超えることはできない。だから、医者にはならない」と。

山本孝之(以下T):私はその話は、ぜんぜん知りませんでしたよ。

S:誰にも言わなかったからね(笑)ちょうど、それと同時期に初めてF1レースを見たんです。きっかけは母に、鈴鹿で行われていたF1に連れていってもらったことでした。その時の衝撃は今でも忘れられません!それ以来、どうしてもF1パイロットになりたい、と思うようになったのです。そして僕は11歳でカートを始め、憧れていたF1パイロットへの道を歩むことになります。

T:そうだね。当時はもちろん、左近には医師になってほしかったのだけど…。

S:理事長はレーサーになることにはずっと反対していましたね。カートを始める時も「一生のお願いだから」と土下座しても断られ、粘りに粘ってやっと母に許してもらったぐらいでしたから。そこからカートを続けても、事あるごとに「早く辞めろ」と父から言われ続けたのを覚えています。でも、18歳の誕生日に、初めて父と二人だけで食事に出かけました。

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T:確か「18歳になるけれど、左近は将来、何になりたいんだ?」と聞いたのだったね。

S:「もちろんF1パイロットになりたい」と答えると「左近が人生をかけて本気で挑戦するなら、絶対になれる。応援するよ。」と言ってくれました。その時のことは忘れられません。そして夢だったF1パイロットになって、その後、ヨーロッパで9年近く暮らしてからここに戻ってきたのが、3年前。レースの予定が突然ポッカリ空いて暇な時間ができたので、実家でのんびりしていたら、会議に出て欲しいと言われ出席したんです。嫌々。(笑) だって何も分からないし、できることないと思ってましたから。ですが、その1日に、いろいろと感じることがありました。もちろん、皆さん一所懸命やって下さっているのですが、一部のスタッフの発言が、理事長の「みんなの力でみんなの幸せを守る」という信念から少しずれている気がしたんです。その時、自分の中に大きな責任を感じてしまって…。ずれがあるなら、修正せねばならない。今まで無関心を装っていたけれども、理事長も母もすでに高齢だし事業が拡大していく中で目が行き届かなくなっているのではないか、と思いました。それが、戻ろうと思ったきっかけです。

T:確か左近の最初の仕事は、看板の掃除だったね(笑)。

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S:「みんなの力でみんなの幸せを」という基本理念が書かれた看板が、コケだらけでまっ茶色だったんです。それに気づいて雑巾できれいに拭きました。基本理念とは、組織にとって一番大事なもの。レースで言えば、勝つという目的ですよね。目的を見誤ったチームは絶対に勝てません。F1という「超競争社会」の中で生きてきた僕にとって、これは死活問題なんですよ。だって、みんながF1の舞台で働き、勝ちたいわけです。ドライバーだけじゃない。エンジニアもメカニックも、コックも、みんながそこで働きたくて、世界中から自分を売り込んできて、競争する。そんな世界と比べると、福祉の世界にいる人は少々のんびりしているように思えました。
同じ目的に向かって、互いに手と手を取り合い協調しなければ、それは達成できない。医療や福祉は、レースと違いタイムや勝敗という明確なゴール、順番はつけられないけれど、大事なことはそんなに違いはないんじゃないかな。

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T:左近が戻ってくると決めてくれた時は、すごくうれしかった。私の後を左近に継いでもらって、みんなの幸せを守る仕事を広げていってほしい。そして、医療や福祉の世界はこれから大きく変わっていく。だから左近なりの考え方で、どんどん新しいことにチャレンジしてほしいと思っていますよ。

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生きがいとは、自分が一番好きなことをやり続けることから生まれる。

山本左近(以下S):あらためて、認知症予防において大事なことは何でしょうか?

山本孝之(以下T):怒ったり悲しんだりしないことですね。不愉快な状態が長く続くことが一番いけません。いつもニコニコして、楽しく、生きがいを持つことです。
毎日を楽しそうに過ごす方は自立度が向上していき、悲しい表情で憂鬱に過ごす方は症状が悪化していく傾向があります。

S:認知症予防に最も大事なのは生きがいを持つことと言われましたが、入院患者さんに生きがいを持って何かに取り組んでいただきたいということで、例えば老人の方でも新しいことを勉強できるよう「老人大学」を開講しましたね。それは、今でもさわらび大学として引き継がれてまして、地域の皆様と当法人職員が一緒に勉強できる勉強会があります。

T:死ぬ瞬間まで、いかに自分が充実した人生を送ることができたかを追求し続ける。それが人生です。勉強する意欲のある方に対しては、勉強する機会を作らねばならない。そう思ったのです。

S:生きがいとは、自分が一番好きなことを見つけることから生まれると思うんです。でも、それを見つけるのはなかなか難しい。考え続けないと見つからないものかもしれません。やりたいことを見つけるためのきっかけを、さわらび会として提供できたらとの想いがあり、機関誌やさわらび大学などを継続してきたと思うんです。
そして、そういった情報を必要とする人びとに、このメディアを通じ伝えることができたら。今まで以上に多くの人びとのお役に立てたら、そんな嬉しいことはありません。

T:認知症患者の方のケアとして、左近はどんなことに取り組んでいくべきだと考えているのですか?

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S:認知症になってしまった患者さんに対してのケアももちろんですが、今後さらに取り組んでいくべきだと思うのが、認知症予防と在宅ケアの更なる強化です。
平均寿命が伸びるほど、認知症のリスクは高まる。日本人の認知症患者は今現在約400万人、10年後には700万人以上とも言われています。そこで始めたのが認知症予防脳ドックです。

認知症予防には生活習慣もとても大事ですよね。理事長ご自身は毎日、腹八分目、早寝早起きを心がけていらっしゃいますね。
脳のMRIで画像検診するだけでなく、血液検査、そして、食事や飲酒、喫煙など細かい生活習慣チェックをした上で運動能力、さらに記憶力や判断力を臨床心理士が専門のテストでチェックする、というものです。
40歳を迎えた健康な皆さんほど受けていただきたい。受診して下さる方が増えれば、より多くの方の早期対応ができ、認知症の発症を先延ばしにできたり、軽度で維持できるかもしれない。その部分は、まだまだできることがたくさんあると思います。
そして在宅ケアも、今以上に充実させていき、地域の皆さんの生活を支える力になりたいです。
理事長が作ったものをいかに成熟させ、いかに質の高いものにするか。
また、さわらび会の長寿医学研究所や神経病理研究所で、アルツハイマーの超早期発見法や治療法の研究を関連各所と積極的に進めていきたいです。10年後でも20年後でも、もしかしたらアルツハイマーを治す薬がそこから生まれるかもしれない。その希望を持ち、研究所をきちんと運営し続けたい。

T:それは、本当に素晴らしいですね。私たちは、いつか、認知症介護の三原則が必要なくなる日が来てほしいと思っています。
昔に比べると今は社会的な理解も進み、介護保険制度も整ってきています。それでも、今の社会の中で、私達が先駆者としてできることはまだたくさんありますよ。

S:地域包括ケアシステムの構築を求められる中で、さわらび会だからこそできる医療/介護/障害/保育が連携する「福祉村ケアシステム」をもっと追求していきたい。それが、ここ数年の僕の一番大きな課題だと思っています。
必要とされれば、どんどんと情報を外へも発信していきたいですね。日本を追って、アジア諸国も高齢化が進む中で間違いなく同じ問題を抱えます。その時に私達ができることは何なのかも、考えていく必要がある。今まで世界中を飛び回って戦ってきた経験は、今の僕を築き上げてきてくれた大切な宝物。

そんな僕の新たなそのチャレンジの一つが、この「長寿のMIKATA」です。実は今、さわらび会が持っている情報は、さわらび誌にとうてい収まり切らないぐらいたくさんある。これらをもっと多くの人に知ってもらえたら、認知症などで困っている人により多くの手を差し伸べることができる。それが、この長寿のMIKATAを作った一番の理由です。そして今後はさわらび会の情報以外にも、例えばヨーロッパの福祉の情報やその他関連情報などを発信していくつもりです。F1時代に培った人脈も、フルに活用したいですね。日本では、2025年に大きな節目が来ます。団塊の世代が後期高齢者になるのが、この年です。この時の日本をどうするかということを、今みんなが一所懸命考えています。示された回答の一つが「地域包括ケアシステム」。医療と在宅介護の連携システムをみんなで作っていこう、という考えです。
実は、さわらび会がこれまでやってきたことは、地域包括ケアシステムの考えと何ら違いはないと思います。人びとがお互いに支え合うことで、地域の生活を守る。そこに医療と介護が専門的なケアでサポートする。手段として医療も施設介護も在宅介護も全部ある。あとはいかに時代に則した形で常に最適化して、「福祉村ケアシステム」として機能させられるか。
基本理念や根本は変わらない、けれども、もちろん時代に沿って変わらなければいけないこともある。

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T:そうだね。左近と私は経歴も、歩んできた道もまったく違う。常に変化する社会をよく見極め、必要とされることを一つ一つしっかりと取り組んでいくことがとても大事になる。これから先は左近がどんどん、自分のやり方でこの福祉の道を広げてくれたらいい。長くヨーロッパで暮らし、F1で世界中を転戦した立場として、伝えていけることはたくさんあるはずだから。

S:父が作ってくれたこの福祉村には、病院や認知症の高齢者施設があるだけじゃない。元気な高齢者も、障害者も、保育園児も、働く健常者もみんながこの福祉村にいる。福祉は幸せという意味と考えると、ここは、「幸せ村」なんです。
私たちの基本理念は「みんなの力で、みんなの幸せを」。まさにこの幸せを守る村「福祉村」から、この地域と日本の幸せ、そして、世界の幸せのために、これからもさわらびグループ全体で力を合わせて、「福祉村ケアシステム」が少しでも皆様のお役に立てるよう努力していきたいと思います。

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