認知症リハビリテーション

音楽療法

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音楽の作用

音楽に緊張緩和、感情の発散、気分の浄化、意欲高揚など、様々な心理的作用があることは、多くの人が経験的に知るところです。音楽には心理的作用の他にも、自律神経・内分泌・免疫系に対する生理的作用、身体運動を誘発・促進する作用、集団をまとめる社会的作用があります。音楽は認知症患者様にも回想惹起、情動安定など、好ましい効果をもたらします。そのことは重々承知していても、認知症ケアの現場では、音楽の予想外の効果や即効性に目を見張らされることが多々あります。
80歳代女性A様:妄想、幻覚があり、毎日のようにデイルームで床を踏み鳴らし、大きな声を出して怒っています。スタッフがタイミングを見計らって「きよしのズンドコ節」をかけますと、途端にすっと立ち上がってダンスを始めます。前に立って真似ると素敵な笑顔を見せてくださいます。
60歳代男性B様:常に表情が硬く、身体介護や声かけに無言のまま全身で拒絶の意思を表していました。居室にB様の出身地の曲を集めたCDを流したところ、次第に動揺が見て取れるようになり、「大空と大地の中で」がかかると涙を流されました。以後、介護抵抗が減少し、摂食機能訓練を進めることができました。
70歳代男性C様:終日臥床状態にあり、発語は「はい、は〜い」のみです。居室には大抵、比較的新しいポピュラーソングが流れており、患者様にはなじみのない曲ばかりでは?と気になりながら、そのままにしていたところ、複数の楽曲のサビの部分を覚えて口ずさむようになりました。
最後のC様の例は、認知機能の維持・回復目的に音楽を活用しうることを示唆しています。国内外の文献にも、失語症がありながら歌を歌うことはできた例、情報を歌にして伝える方法により認知機能の改善を図った例が散見されます。音楽がどのような機序で心身や認知機能に作用するのかは解明できていませんが、狭義の医療を補填しうる力があることは確かです。「音楽の持つ、生理的、心理的、社会的働きを、心身の障害の回復、機能の維持改善、生活の質の向上に向けて、意図的、計画的に活用して行われる治療技法」(旧臨床音楽療法協会会則)である音楽療法は、様々な疾患に広く用いられています。

音楽療法の技法

音楽療法の基本的技法の一つに「同質の原理」があります。セッション最初の楽曲は、対象者の気分とテンポに同質の音楽を選択すべきであるという原則です。音楽の好みはその人の生活史や価値観を反映します。同じ人でも、ある楽曲を無性に聴きたいと思う時があれば、今日は聴きたくないと思う時もあります。選曲には対象者に対する深い理解と観察眼が必要です。伝統的なプログラムでは、音楽療法士は「同質の原理」により対象者を音楽療法に引き込んだ後、対象者の反応を見ながら、それぞれの治療目的に沿った別の気分、テンポへ漸次転導していきます。その際に用いられる技法が「即興」です。特定のフレーズを意図的に繰り返したり、楽器や演奏の強弱、リズム、テンポ、音程を変えたりして、その時々に必要な音楽の雰囲気を作ります。
音楽療法には「同質の原理」や「即興」以外にも音楽の力を最大限に活用するための技法がいくつかあります。音楽療法には音楽そのものの力に依存する部分があり、音楽をただ聴いていただいたり、歌を一緒に歌ったりするだけでも効果を期待することはできます。しかし、音楽療法を「療法」として実施し、治療的成果を得るには、音楽療法に特有の専門的技法が必要です。音楽療法士はわが国では民間資格であり、音楽療法士でなくても音楽療法を実践することは可能ですが、専門的訓練を受けた音楽療法士によって行われることが望ましいと考えます。

交通外傷による重度脳機能障害に対する中部療護センターの取り組み

脳機能障害に対する医学的療法の現場に音楽療法を導入し、成果をあげている施設のひとつに、木沢記念病院中部療養センターがあります。奥村歩著「音楽で脳はここまで再生する」(2008年)は、交通事故後、意識回復の見込みはないと診断された患者様が、同センターでの音楽療法を軸とした”脳リハビリ”により、外界に対する気づきやコミュニケーション能力を再獲得する過程を呈示しています。専門性の高い音楽療法の効果もさることながら、諦めず長期に及ぶ取り組みを展開している点に感銘を受ける著書です。
本書の著者は脳神経外科医です。機能的MRI、誘発脳波、SPECT、PETなどの検査結果を踏まえて、それまで心理学の言葉で語られることの多かった音楽療法に、神経生理学的根拠を付与していることも本書の特長です。印象に残った知見を私なりに要約してお示しします。
(1)脳神経細胞のネットワークを回復・改善させるには、同時に多種類の刺激を用いることが有効である。楽器や働きかけの工夫により、五感刺激を同時に脳へ送ることのできる音楽は、脳リハビリの”うってつけの”手段である。(2)広範囲な脳損傷を負った患者さんでも、脳内の音楽ネットワークは保たれていることが多い。

当院の取り組み

当院は全国の病院に先駆けて音楽療法を取り入れた経緯もあり、認知症患者様に対する日々のケアに音楽を活用してきました。認知症リハビリプロジェクトの活動としては、現在、1.集団コミュニケーション療法の手法を取り入れた音楽会、2.臥床状態の患者様を対象とした個別能動的音楽療法、の二つのプログラムを実施しています。
2.の取り組みは、日米両国の音楽療法士の資格を持ち、大学で後進の育成にあたっておられる菅田(小西)文子先生にご指導いただいています。
臥床状態の患者様に対する音楽療法は実績が乏しく、方法も評価法も確立していません。進行した認知症により臥床状態にある患者様は、働きかけへの反応が低下しており、現段階で顕著な変化は観察されていませんが、小さな反応の積み重ねに手応えを感じています。4月には心拍と脳波のリアルタイム解析を導入する予定です。聴力に大きな障害がない限り、表情や動作に変化は認められなくても音楽は脳に届いており、脳の反応を心拍や脳波の変化として捉えられる可能性はあります。たとえわずかな変化であっても、それを手掛かりに工夫を重ね、粘り強く認知機能への働きかけを継続したいと考えています。