CROSS TALK
SAKON Dialogue : 031

笹川会長と
“ソーシャル・チェンジ”
を語る #2

笹川陽平(公益財団法人日本財団会長)
笹川陽平
YOHEI SASAKAWA
公益財団法人日本財団会長
SAKON Dialogue : 031
笹川会長と
“ソーシャル・チェンジ”
を語る #2
前回(#1)に続き、日本財団会長・笹川陽平氏と『長寿のMIKATA』編集長・山本左近のクロストークをお届けする。人生100年時代といわれる昨今、私たちはどのように年齢を重ね、何を目指してよりよい社会を構築していけばよいのだろうか。「解決すべき課題において成功事例をつくり、モデルケースにすることは自分の仕事だと思っている」と笹川氏は言う。ハンセン病制圧、障害者支援、子ども支援、災害復興支援など国内外の社会問題の解決に尽力し、80歳にして現在も第一線で活躍する同氏から、障害者就労支援や子どもの貧困問題に関する取り組み、自身の死生観など幅広くお話を伺った。(山梨県鳴沢村の笹川氏の別荘にて2019年5月取材)
photos : Nobuaki Ishimaru(d'Arc)
text : Yu Shimamura

「あの頃」の縦社会を取り戻す試み

左近:最近僕は、これから生まれてくる子どもたちが50歳、100歳になったときに日本がどうあるべきかをいつも考えています。そうすると教育、そして子どもの貧困の問題を避けては通れません。笹川さんが現在取り組んでいる課題の中で、子どもたちが夢を描くことができる、希望をもてる社会をつくるための対策について教えていただけますか。

笹川:それでいうと今、「第三の居場所」()という場づくりをしています。ただ、貧困に苦しんでいる子どもだけを集めると、「あそこはそういう子どもばかりいるから行かない方がいい」なんて言う人が出てくるからいけない。大学生のボランティアも、じいさんもばあさんもいて、生活が苦しくない子も喜んで集まってくれるような第三の居場所にして、もう一度「縦の社会」をつくろうとしているんです。
※ 子どもたちが地域の人の支えを受けながら、自立する力を育む拠点づくり。現在は主に小学校1年~3年生を対象とし、放課後から最大21時まで子どもたちが安心できる安全な居場所を提供。全国に約100ヶ所設置を目指している。

僕の時代は、学校が終わって家に帰ると、カバンを放り出して宿題もやらずに米屋とか八百屋の前に向かった。そこには上は中学1年生から下は幼稚園生くらいまで7、8人集まっていて、それからみんなで遊んでいました。そういう「縦の社会」があったんだよね。夜遅くなると、豆腐屋の親父が店から出てきて、「お前ら早く家に帰って、メシ食って勉強しろよ」って怒鳴ってね。「またあの親父だよ」なんて言いながら逃げたものです。

左近:笹川さんが目指しているのは、そういう居場所づくりなんですね。

笹川:そう。今は小学校5年生だと5年生のクラスにいて、学校が終わった後も塾でまた5年生のクラスで勉強して、家に帰る。縦の社会がないんですね。僕が言っている「インクルーシブな社会」というのは、縦と横の両方の広がりがある社会のこと。だって、みんなもっと人間臭い生活をしたいじゃない。

「第三の居場所」は全国に30ヶ所ほどできたところ。鉄棒もマットも跳び箱も置いてあって、いつでも遊べるようにしておく。宿題があるならそこでやってもらって、ご飯が食べられない子には食べさせる。じいさんやばあさんが、碁や将棋や昔話をしてあげたりね。高齢者もいれば子どももいる。お金持ちの子もいれば貧しい子もいる。「多様性」という言葉にはそういうことも含まれるでしょう。貧しい子の中から、「あんな奴に負けてたまるか」とガッツを見せる子が出てきてもいい。

左近:障害のある人や年配の方と共生するときって、元気な人が弱い人の面倒をみて「あげる」という意識をもっている人が多いように思います。笹川さんのように愛情をもって社会課題に取り組んでいる人がもっと増えてほしいですね。「社会貢献」という言葉は正しくないのかもしれませんが……。

笹川:社会貢献なんて偉そうな言葉じゃなくて、人間として当然の責務だと思っています。わが子だけじゃなくて、子どもは全員自分の子どもです。そして、「いいよいいよ、かわいいね」って抱きしめるだけが愛情じゃない。注意することも愛情なんです。

今の人は「いい子」になりたいから、会社でもどこでも自分が批判される側になりたくない。だから注意したり、若い人に教えたりしづらいんでしょうね。でもそれは責任ある行動ではなく、「いい格好しい」です。

教育というのは、大人が子どもに対して教えるもので、しつけや礼儀も含まれています。学校は学問だけを教えるところなので、やっていることはその一部。大人はもっと自信をもって、子どもたちに「こうしなさい」「ここでは、こうですよ」って教えてあげないといけません。だって、子どもは知らないだけなんですから。

左近:その通りですね。

笹川:貧困の家庭の現場は悲惨な状況です。たとえばね、カレーライスが食べられない子どもがいるんですよ。食べたことがないから吐き出しちゃうの。その子は、カレーがおいしいものだとわかるまでに1ヶ月かかりました。家に帰って寝る前の間、お母さんはまだ帰ってこない。朝起きて学校に行くときは、お母さんは寝ている。「これで晩ご飯を食べておきなさい」と500円玉をもらって、それで生活をしている。物心ついた頃から毎日ずっとそんな生活をしている子どもがいるんです。そういうことは調べて把握しているんだけど、もちろん子ども本人には言いません。

重い病気を抱えた子どもたちとご家族を支える施設も30ヶ所つくりました。子どもたちのための施設であると同時に、ご家族のための施設でもあります。24時間、酸素機器や人工呼吸器の管理をしているご家族、インスリン注射が必要な1型糖尿病の子を見守るご家族など、看病をしているご家族も目が離せないから大変ですよ。
だから、子どものことを忘れてどこにでも行って、パーマあてに行ったり、白髪染めしたり、ショッピングに行ったりして、瞬間的に子どものことを忘れられる状況をつくってあげたい。これは僕の言葉が悪いけど、そういう人たちを2日か3日「放牧」したいんです。

ただ、「ここにいらっしゃい、サポートしてあげますよ」っていうのは白々しいから好きじゃない。自然に来るようにするのが大事で。本当に気の毒な人はいっぱいいます。残念ながらそれはなくならない。でも、そういう人をできるだけ少なくする努力は、僕たち大人がしていかないといけないんです。

「晩節」っていうのが一番難しい

笹川:僕は「人生二度説」という考え方をもっていて、50歳まではお金を稼ぐことに専念する、50歳を過ぎたら何かやりたいことをやるという区分で考えているんです。僕は40歳までにひと財産つくったから、そこでもうやめた。そしてありがたいことに、父が福祉事業の仕組みをつくった人だから、それをやるようになった。

僕がいつも言っているのは、僕たちの人生は「箱根駅伝」だっていうこと。父親と母親からもらったタスキを、次の世代に引き継いでいく。DNAを運んでいく、伝え続けていく駅伝なんだよ。

左近:若い人に、日本のよいものをきちんと伝えていくことが僕たちの役目ですね。先ほど「死に方を考える」というお話がありましたが、笹川さんは死ぬことそのものは怖くないのでしょうか。

笹川:毎日、死を意識しながら生きてきたからね。でも、晩節が一番難しいですよ。シェイクスピアの作品に『終わりよければすべてよし』という戯曲がありますが、死期が近いことを医師から伝えられたとき、「私の人生はよい人生だったな」って思えるかどうかですね。

世の中には大金持ちがいますよね。僕の周りにもたくさんいた。でも、何百億も遺産がある人がベッドの中で末期がんの診断を受けたとき、弁護士と公認会計士と税理士を呼んで、酸素吸入受けながら「俺は妻にだけは遺産を渡したくない。だからできる限り渡さないですむ方法を考えてくれ」って言ったって。それってどんな人生なの。

左近:特に男性で多いようですが、定年になると家にこもってしまう人の話もよく聞きますね。

笹川:女性は横のつながりが多いからいい。話し相手もいるし、趣味の仲間もいる。会社が全てで、その縦社会の中だけで生きてきた男性は、世界が狭い。仕事を辞めてから会社に顔を出すと、最初の2、3回は「お元気で何よりですね」なんて相手してくれても、それ以降は微妙な顔をされたりする。

現役時代の肩書をわざわざ名刺に書いて配っている人もいますね。彼らは素晴らしい経験を持った人たちだから、昔の肩書にこだわらず、手伝ってほしいNPO組織なんかもあるんです。でもプライドがある人は、昔を捨てて若い人と仕事をするっていう考えにならないんです。若い人にその経験や専門的知識を教えてもらえるといいんですけどね。

左近:自分の限界に挑戦し続けることが大事だと思いますが、最近はチャレンジしにくい世の中になっているようにも感じます。

笹川:うちは自転車操業だから、僕なんかは前しか見ていない(笑)。だからチャレンジの連続だけどね。ただ、いつの時代もチャレンジはしにくいと思いますよ。あとは本人の精神年齢や意識の問題。
ただ、今のような情報が共有される時代になると、人間は没個性化していくと思います。だから僕が言っているのは、これからの時代に必要なのは変人だってこと。変人っていうのは、10年先、ずっと先を見て行動しているから変人なんですよ。

左近:変人が増えると、社会も面白くなりそうですね。

笹川:均一化社会は面白くないから、もっと個性的になるといいですね。若い人がチャレンジできる今の時代は素晴らしいと思っています。失敗する人もたくさんいます。でも、こんな自由な時代は今までなかったじゃない。

左近:2020年東京オリンピック・パラリンピックでは、世界の人たちにどんな日本を見てもらいたいと思いますか?

笹川:ありのまま、自然でよいと思いますよ。外国から来た人はみんなびっくりすると思う。僕は世界中の国々を視察して回っているけれど、どこを探したって、こんなに宗教的な争いがない、民族的な争いがない、ユニークな国はないんだから。

左近:まずは、日本人としてのアイデンティティをしっかりもつことですね。本日は貴重なお時間をいただき、本当にありがとうございました。

笹川:またいつでも来てください。僕は、今は何が趣味かっていったら、この敷地の草をむしることなんだから。自然の中でひとり、草をむしって草木の手入れをすることが一番の仕事。週末はほぼここに来て、朝の6時から10時間はやっています。
だから、僕の最期はそうなるだろうね。なんにもいらない、金もいらなきゃ友達もいらない。自然と対話して死にます。
笹川陽平
YOHEI SASAKAWA
公益財団法人日本財団会長
1939年、東京生まれ。明治大学政治経済学部卒。日本財団会長、WHOハンセン病制圧大使、ハンセン病人権啓発大使(日本政府)、ミャンマー国民和解担当日本政府代表(日本政府)ほか。40年以上にわたるハンセン病との闘いにおいては、世界的な制圧を目前に公衆衛生上だけでなく、人権問題にも目を向け、差別撤廃のための運動に力を注ぐ。「旭日大綬賞」(2019)、「ガンジー平和賞」(2018)、国際法曹協会「法の支配賞」(2014)、国際海事機関「国際海事賞」(2014)など多数受賞。著書『この国、あの国 考えてほしい日本のかたち』(産経新聞社)、『世界のハンセン病がなくなる日 病気と差別への戦い』(明石書店)、『外務省の知らない世界の“素顔” 』(産経新聞社)、『人間として生きてほしいから』(海竜社)、『若者よ、世界に翔け!』(PHP研究所)、『不可能を可能に 世界のハンセン病との闘い』(明石書店)、『隣人・中国人に言っておきたいこと』(PHP研究所)、『残心 世界のハンセン病を制圧する』(幻冬舎)、『愛する祖国へ』(産経新聞出版)など多数。
山本左近
SAKON YAMAMOTO
さわらびグループ CEO/DEO
レーシングドライバー/元F1ドライバー
1982年、愛知県豊橋市生まれ。幼少期に見たF1日本GPでのセナの走りに心を奪われ、将来F1パイロットになると誓う。両親に土下座して説得し1994年よりカートからレーシングキャリアをスタートさせる。2002年より単身渡欧。ドイツ、イギリス、スペインに拠点を構え、約10年間、世界中を転戦。2006年、当時日本人最年少F1デビュー。2012年に日本に拠点を移し、医療法人/社会福祉法人の統括本部長として医療と福祉の向上に邁進する。2017年には未来ヴィジョン「NEXT55 Vision 超幸齢社会をデザインする。」を掲げた。また、学校法人さわらび学園 中部福祉保育医療専門学校において、次世代のグローバル福祉リーダーの育成に精力的に取り組んでいる。日本語、英語、スペイン語を話すマルチリンガル。

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