Super GB

自分から動かないと
ダメだよね

007
うつみ宮土理
Midori Utsumi

博学で快活、明るさを失わない
うつみ宮土理さんからのメッセージ

人生100年時代といわれる今、70歳なんてまだまだ若い。超高齢社会が加速する中でも、高齢であることをみじんも感じさせない、それどころか若者以上にバイタリティに満ち溢れた活動を続ける人がたくさんいる。想像を絶するほどタフで、趣味も仕事も全力で楽しむそんな人たちを、称賛の気持ちを込めて「SGSB (Super Great / Super Beauty)」と命名した。彼ら彼女らの輝きの源はどこにあるのか。その秘密を知りたくて、そして学びたくて、会いにいくことにした−−。

今回お話をお聞きしたのは、1960年代よりタレント、司会者、女優、作家とマルチに活躍し、75歳にして今なお舞台に立ち続ける、うつみ宮土理さん。きらめきを失わないうつみさんから、故・愛川欽也さんの思いが込もった劇場・キンケロ・シアター(東京都・中目黒)にて、いつまでも楽しく生きる秘訣を教えていただいた。
photos : Nobuaki Ishimaru(d'Arc)
text : Yu Shimamura

舞台に立つために、
いつまでも元気でいたい

Q: 愛川さんが残されたキンケロ・シアター、とても素敵ですね。
うつみ宮土理:(以下、うつみ):ねえ、素晴らしい劇場でしょう。キンキンはお年寄りや子どもをすごく大事にしていました。本当に優しい人でね、「平和が大切」「平和だから楽しいことができるんだよ」といつも言っていましたね。
Q: 昨年10月にこちらの劇場で行われた舞台では、うつみさんは8歳の少女役を演じていましたね。まだまだ新しいことに挑戦されていますね。
うつみ:演じるということは、私にとって今でもチャレンジなのね。与えられた役を想像して、クリエイトするのが好きなんです。今でも上手くなりたいなと思うし、なによりこのキンケロ・シアターで歌っている時が一番楽しいんです。でもお客さんの前に立つためには、足腰が丈夫じゃないといけないし、声を出すためには腹筋を鍛えておかないといけない。お客さんの前に立ちたいから、元気でいなきゃって。いつまでも舞台に立っていたいんですよ。
Q: 現在はどのような生活を送っているのでしょうか?
うつみ:朝は早く起きます。洗濯が好きなので、まず洗濯ね。ひとりなので何をそんなに洗濯するのかと我ながら思うんですけど、これが意外とあるの。掃除も好きですね。あとはこの間から、暇ができたら妹と一緒に「ダイヤモンド体操」(※1)に行くようにしています。洋服は買わなくなったわ。昔はよく行ってましたけどねえ。ここ5年くらいは購買意欲がなくなって、欲しいものも特にないですね。
※1首都大学東京の山田拓実教授監修のもと、渋谷区と(株)渋谷サービス公社が共同開発したオリジナル体操。
Q: ほかに、健康に気遣っていることはありますか?
うつみ:食事はバランス良く摂るようにしていますね。しじみ汁とか、ごぼうとニンジンのきんぴらが出るとうれしいですねえ。あと酢の物も好きですね。
でも何が好きと言われれば、やっぱり肉ね。元気の秘訣も肉! ステーキは毎日でも食べられますよ。150gは食べちゃう。よく行くお店に行ったら「ヒレの一番良いところちょうだい」って言って、一緒にクレソンとマッシュドポテトを食べて。肉とサラダ、ちょっとガーリックライスがあればもう大ごちそうですよ。肉を食べていれば元気でいられます。
ボードに書いてくださった座右の銘は、老子の言葉「天網恢恢疎(てんもうかいかいそ)にして漏らさず」。
天が張り巡らせた網は目が粗いように見えても、悪事をはたらいた人は漏れなく捕まるという意味。

悪口を言われても
一度も気にしなかった

Q: 大学卒業後に新聞社に入社したことが、うつみさんのその後の芸能活動につながります。人前に立つ仕事には元々興味があったんですか?
うつみ:英文科を卒業して新聞社に入った時は、芸能界には全く興味なかったんですよ。結婚相手を探す目的で新聞社の入社試験を受けましたから(笑)。でも、英語をしゃべることは好きでしたね。
じゃあなんで芸能界に入ったかと言ったら、ある時『ロンパールーム』(※2)の先生を決める面接会場に取材に行って、子供と一緒に「かごめかごめ」を歌っていたら、スポンサーだったおもちゃ屋さんの社長さんが「僕、あの子でいいよ」って言ったのがきっかけだったんですよ。
※2 1963年〜79年に日本テレビ系列で放送されていた子ども向け教育番組。うつみさんは2代目お姉さん「みどり先生」として大人気を博し、その後タレントとしての活動を始めた。
Q: その後は別の番組にも出演し、活躍の幅を広げていきます。今振り返ってみて、若い頃のどんなことが成功につながったと思いますか?
うつみ:『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』(※3)って番組で、朝丘雪路さんやジュディ・オングさんなど有名な方ばかり出演していたんですけど、私は名前も知られていないので大部屋だったの。その頃、目をかけてくださったのが前田武彦さんで「君は人に悪く言われてもケロッとしているね」って、「ケロッ」としている「ロンパールームの先生」ということで「ケロンパ」っていうあだ名をいただいたの。
※3 1969年〜71年に日本テレビ系列で放送されていた、トークとコントで構成された伝説のバラエティー番組。


だから、良かったことは、どんなに悪口を言われても家に帰ったらケロッとしていたことでしょうね。私は、悪口を言われても「なにくそ!」なんて思ったことないですよ。そんなこと思っても、いいことないの。私の母は「悪口は正論」だって言ってましたしね。そう受け止めると、謙虚な気持ちになれるでしょう?
Q: 愛川欽也さんと初めて会った時の印象はどういったものでしたか?
うつみ:キンキンはね、頭がすごくいいなと思いました。台本を一度見ただけですぐ覚えちゃうし、アドリブも効く。私は、笑う瞬間が同じ人とは気が合うし、それって大事なことだと思うんですけど、キンキンとはそれが合って。彼は面白い人でねえ。偉いなと思ったのは、人を売れてるから頭を低く下げるんじゃなくて、売れていても売れていなくても、みんな同じ人間だ、って考えていたところね。
愛用品としてお持ちいただいた万年筆は、愛川欽也さんが司会を務めていたテレビ番組
『出没!アド街ック天国』(テレビ東京系)の放送1000回を記念して贈られたもの。
愛川さんが愛用していた筆箱に入れ、大切に使っている。

待ってちゃダメ、
自分から動かないと

Q: 長く円満な夫婦関係を続けられた秘訣はありますか?
うつみ:長くやってこれたのは、相性が良かったことに尽きるんじゃないでしょうかね。イライラすることもケンカすることもないし、キンキンのすることすべてが面白かったですね。ご飯もガツガツ食べて、いつも「戦争時代には食べられなかった」とか言いながら食べていて。キンキンはB級グルメなんですね。私は高級とまではいかなくても、ちょっと有名なお店に行きたいと思うタイプなんです。でもキンキンは決まったお店、高くないお店でたとえば餃子をいっぱい食べて、「みんながお腹いっぱいになればいい」ってニコニコしてるような人なんですよ。

今、私は元気ですしね、明日に向かって生きたいと思っています。生きがいがある、やりたいことがあるっていうことが、元気になる源ですよ。
何もないと家から出ないし、誰にも会わないし、電話もしなくなっちゃうじゃない。やりたいことがあれば、人を集めて、話し合って、アイデアを出し合って。そういう時間が楽しいですね。
Q: これからは「人生100年時代」といわれています。うつみさんは将来に不安を感じたことはありませんか?
うつみ:私は趣味も好きなことも多いですし、暇さえあれば旅がしたいと思うくらい外に出ることも好きなので、「人生これから何をしよう」という不安は持ったことがないですね。好きなものを3日に1回くらい食べたり、仲間で集まったりすれば幸せです。ただ、100年生きるのはちょっと疲れそうね(笑)。
ただ、いつまでと決めなくていいんじゃないかしら。やりたい気持ちがあれば、仕事を続けて気づいたら98歳になっていても。
Q: 最後に、年齢を重ねてもうつみさんのように充実した人生を送るためのコツがあれば教えてください。
うつみ:やっぱり好きなことがあるといいですね。私は花が好きなので、花の手入れをしている時がすごく楽しいですね。うちの実家は造園業で、母は生け花の先生だったんですよ。
でも元気がよいうちに好きなこと、趣味を見つけておかないとダメですよね。定年になってから急に好きなこと探しても遅いですよ。30歳くらいから考えておかないと。

あとは仲間と何かをやるにしても、人が声をかけてくれるのを待ってちゃダメなんです。自分から声をかけて呼びかけないとね。私もお友達に「こうゆうのやらない?」なんて声をかけるんです。そうすると乗ってくれますしね。おかげで楽しい時間を過ごせています。
キンケロ・シアターのロビーにて。
「車椅子の人も入りやすいように」という愛川さんの配慮により、入り口を広くしてつくられた(写真奥)。

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