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老有所為

三世代家族の肖像
支え合う生き方
中国の小学校や公園など、子供や幼児が多い場に出かけた人は驚きの光景を見かけるだろう。幼児の乳母車を押す人、子供と遊ぶ人、校門で小学生を送り迎えする人、その多くが白髪の混じるシニア。
幼子の面倒を見るのは多くの場合、両親ではなく、祖父母なのだ。中国の場合、都市部でも大多数は30歳までに結婚し、30代前半までには子供を産むので、祖父母は50代、60代前半であることが多い。
そんな彼らの人生の二周目のスタートは、とても忙しそうだ。
photos : Hitoshi Iwakiri
text : Junko Haraguchi

「子育てを両親に頼る」という夫婦の決断

 「定年退職後、することがなくて……」というのは日本のシニアによく聞く悩み。だが中国の場合では、定年退職と同時期に孫が誕生、その面倒を見る役割が降りかかる。日本でも、もちろん祖父母が面倒を見るケースも多々あるだろうが、中国の場合は、さらに深く広く、社会的な常識、とされている感がある。
 この伝統は、農耕社会時代に始まり、若い両親は一日中、田畑で働き続け、その間、祖父母が家で幼児の面倒を見ていた風習がベースにあるという。農村部で子供のいる若夫婦がいればいまもその習慣は続くし、大都会でも共働き社会の中国では父も母も昼間は仕事で不在。保育園も未整備なので、せめて3歳で幼稚園に上がるまでは、誰かが子供の面倒を見なくてはならない。
 特に大変なのは、なにかと助けになる家族のいる故郷を離れ、大都会で働いている夫婦のケース。今回、お邪魔させてもらった黄承清さん(34歳)王媛媛さん(30歳)のご夫婦(中国では夫婦別姓)は、黄さんは中国南部の広西チワン族自治区の山村出身。王さんは、中国東北部の大都会、瀋陽出身。黄さんも王さんもIT関係の仕事に従事し、若いホワイトカラーの典型だ。3年前に結婚した二人には2016年秋に第一子が誕生。でもおめでたの時期から「生まれてくる子供の面倒をどうする?」の悩みが始まったという。
 「中国では幼児を安心して預けられる公共施設がほとんどありません。お手伝いさんを頼むケースもありますが、信用できる人を探すのは難しいし、そのコストも驚くほど高騰しています」とご主人の黄さん。思案の末、山村に住む両親に頼むしかないと決断した。「いきなり両親に頼んでも断られるだろうから、懐妊の時期から北京での子育ての大変さを電話で何度も話し、両親の心の準備ができたところで頼んでみたんです」という。

バスと鉄道を乗り継いで4日間、初めての北京

 息子夫婦のSOSに心を動かされた両親がはるばる北京にやってきたのは2016年夏。黄さんの母は近くの町にさえも出たことがない、山村で過ごしてきた人生であり、その旅は大変なものだった。
 まず近くの町まで出て1泊。次に広西チワン族自治区の省都である南寧までバスで5時間かけてたどり着き、1泊。それから鉄道で約20時間かけて北京に到着。4日がかりだった旅の間、母である也標さんは、生涯で初めて乗ったバスや鉄道で車酔いが続き、倒れこむような状態で北京に着いた。
 この大変な長旅からも、次世代の支援を、という中国のシニア世代の熱い思いと、風習の根強さ、そして中国の広大さが見えてくる。
 今、三世代が暮らすのは、北京のニュータウン、望京地区の高層団地の一角。中国では結婚時には持ち家を、という習慣も根強いため、黄承清さん、王嬡嬡さんがローンを組んで購入した。2016年秋に誕生した令儀ちゃんの面倒は村からやってきたご両親がみて、黄さんは頻繁に深夜まで残業、王さんもフルタイムで働きながら時にクッキングスクールに通い、自己啓発する時間も持てている。
ミルクを飲ませたり着替えやおむつを替えたりといった細々とした世話は令儀ちゃんの祖母の也標さん(60歳)が、祖父の黄霊先(59歳)さんは、也標さんと一緒に近くの公園に日光浴にでかけたあと、市場で食料を購入、主に料理などを担当している。

「子どもの面倒は祖父母がみる」という中国の伝統

 三世代家族はお互いを支え合い、暮らしは明るく順調に回っているように見える。
 だが祖父母は二人とも、広西チワン族自治区のチワン族であり、村ではその言葉を話していたため、北京の人たちが話す中国語が聞き取れず、買い物などにも苦労している。「北京に来たらいろいろ観光もできると楽しみにしていたが、一人では地下鉄も乗れず道を尋ねるのも難しい」と黄霊先さん。村にいれば全員知り合いで、毎日誰かの家を訪ねて雑談できたのに、北京ではそれは叶わない。「でも故宮は見学できたし、大都会の暮らしを見られるのは良いね。市場の食べ物でも都会にはいろいろあって面白い」と新素材を料理にとりいれる工夫を楽しんだりしている。
 也標さんも村を離れて寂しいのは同じだが、孫はもちろん息子たちとも一緒にいられるし、孫を連れて公園に行けば、同じように孫を連れて集まる顔見知りと簡単な会話は交わすようになった。「それに私もおばあさんに育てられたので」と也標さん。暮らしの伝統を穏やかに辛抱強く守っているように見える。
 「友達のなかには子供ができたために仕事をやめなければならなくなった人もいる。信頼できる義母に子供を預けられて私は本当に幸せ」と王さん。也標さんが令儀ちゃんに話しかけるのはチワン族の言葉だが、「小さいころから複数の言語に触れると、語学のセンスが培われるのでは?」と期待している。

余生ではない、人生の二周目の走り方

 定年を伸ばすのでなく、逆に50代に早める。そして元気で体力のあるうち、次世代のサポートに回るのを社会の風習とする。中国では伝統の生き方だが、いま改めて考えると斬新にも思える。日本でこんなふうな施策をとってみたらどうなるのだろう?
 令儀ちゃんを囲む三世代家族では、家族の結びつく力が退職後に活力をもたらしているように思え、ふとそんなふうに考えてしまう。
 そのうえ、この大活躍のお二人、今は、北京で子育てサポートに回っているが、あと1,2年もしたら故郷の村に戻るつもりだ。特にご主人の黄霊先さんは、一足先に北京を離れる予定にしている。村には次男一家がいて、もうすぐ孫が生まれる。そのサポートもしなければならない。また村には濃い人付き合いがあり、冠婚葬祭、家の新築などを助け合う。その役割も果たさなければならないし、第一、自分たちも村の人との会話が懐かしい。
 ばっちり役割を果たして、北京の「ちょい住み」を終え、やがてはまた4日かけて村に戻っていく。このアクティブさから、老後や余生といった言葉は似つかわしくない。それは、人生の二周目を走り始めたばかりということなのだろう。老いて子を支える、という役割は、経験を積んだシニアだから担えることだし、子育てを経験した強みを活かせるのだと、ふつうに思えてしまう。日本より一回り早く、人生の二周目を走り出すことができる中国のシニアたち。たくましくて、尊敬してしまうのである。
 もしかしたら私の目の前の三世代家族の在り方は、あと数十年もしたら昔話になるのかもしれない。今だからこそ、定年の早い社会とその生き方の例として、よりしっかり見つめてみたくなった。

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