Super GB

100歳過ぎても
続けます

003
内海桂子
Keiko Utsumi

「時代も人も、パッとつかんじゃうの」
内海桂子さんのセンスと逞しさ

わたしたちは、「おじいちゃん」「おばあちゃん」という言葉を高齢の方に対して何気なく使う。しかし人生100年時代といわれる今、75歳なんてまだまだ若い。超高齢社会が加速する中でも、高齢であることをみじんも感じさせない、それどころか若者以上にバイタリティに満ち溢れた活動を続ける人がたくさんいる。想像を絶するほどタフで、趣味も仕事も全力で楽しむそんな人たちを、称賛の気持ちを込めて「SUPER GB (Super Great / Super Beauty)」と命名した。彼ら彼女らの輝きの源はどこにあるのか。その秘密を知りたくて、そして学びたくて、会いにいくことにした−−。

レジェンドという言葉は過去の人に対してしばしば用いられるが、内海桂子師匠には現在進行形でそれがあてはまる。Twitterのフォロワー47万人(2018年8月現在)の、国内最高齢・現役芸人。誰よりも強く逞しく、濃密に生き抜いてきた96年。毅然とした姿で舞台に立つ師匠は、誰が見てもカッコよく素敵だ。
photos : Nobuaki Ishimaru(d'Arc)
text : Higashi Murayama

多彩な芸で開いた芸人道

Q:御年96歳。芸歴80年で現役最高齢の芸人。ただただ頭が下がります。
おかげさまでね。今も舞台に立たせていただいてます。ここ(上写真)に書いた「酒は一合、ごはんは二膳〜」というのは、あたしの都々逸(どどいつ)(※)です。ご飯は1日に2膳ですよ、1食にじゃなくて(笑)。
これでも若い頃は苦労してるの。10歳の頃から奉公に出たんだから。それもあたしの意志で。神田更科(蕎麦店)の7歳のお坊ちゃんのお守り役をしていました。
※七・七・七・五の音律数で唄われる大衆的な曲。恋愛ほかさまざまなテーマを扱い、三味線に合わせて口語調で唄う。内海桂子師匠の芸のひとつ。
Q:なぜ自ら進んで奉公に? 10歳といえば今の時代なら遊び盛りの子どもですよ。
内海:親のために稼ぎに出たんです。奉公から戻った後は、町内の下駄屋で鼻緒をすげる仕事をして、稼ぎの半分を実家に入れて、もう半分で三味線と踊りを習う月謝に充てていましたね。
Q:三味線と踊りを始めるきっかけは何かあったんですか?
内海:あたしの母が坂東流の三味線を習っていたの。身の回りに三味線があって、見よう見まねでぴょこぴょこひいているうち、自然と母と同じ師匠について習い始めた。その流れで踊りも始めたんだけど、ぜんぜん嫌じゃなかった。
Q:ずいぶんと早い芸人人生の幕開けになったわけですね。
内海:そうね。地方巡業に加わるようになったのは、13歳くらいから。漫才師として初舞台を踏んだのは16歳。高砂屋とし松という漫才師に声をかけられて。さして修業はしていないのに、けっこうお客にウケたのよねえ。あたしはベラベラしゃべるから。
目の前で都々逸を披露してくださった内海桂子師匠。
三味線にふれると周囲を遮断するような真剣な空気に変わった。

時代も人もよく見て、
つかまえないと

Q:漫才のキャリアは男女コンビからのスタートだったんですね。
内海:今はずいぶん違いますけど、当時の男女の漫才ってね、オンナ側は相槌を打つだけの役割が当たり前だったの。でもあたしはこんな性格でしょう、もっとこう返したら面白いとかって思うとそれをどんどんやっちゃう。
Q:新しいスタイルをつくり上げたんですね。批判や非難もあったでしょう?
内海:そんなこと、あたしは言わせませんよ。ちゃんとウケているんだもの(笑)。誰も何も言えないわよ。
いつだったか岸信介さん(第56・57代内閣総理大臣)と佐藤榮作さん(第61~63代内閣総理大臣)の座敷にお呼ばれして、目の前で三味線をひきました。こんな状況、普通は緊張するんでしょうけど、へっちゃらでしたよ。もともと度胸はあるの(笑)。
Q: これまでに何回くらいコンビを組まれたのでしょうか?
内海:当時は三味線と踊りができるってだけで目立ったみたいで、あちこちの芸人に声をかけられましたよ。(内海)好江と出会って漫才をやるまでに、たくさんコンビを組みました。数なんてもう覚えてない(笑)。相方の個性に合わせて私がやり方を変えるから、どの相方でもいいんです。どう合わせればいいか、しゃべればわかるんですよ。
Q:ここまで長く芸人を続けてこられた秘訣はなんだと思われますか?
内海:時代をちゃんとつかんで、取り残されないようにすること。あたしは同じネタを繰り返しやるのが好きじゃなくて、毎回違うネタをやってましたけど、ひと昔前はそんな芸人はいなかった。時代も人もパッとつかまえる。だから場をつかむこともできたんだと思います。
夫でありマネージャーでもある成田さんが、「地方に行ったらその地に合わせたネタができた」と言うと、
「同じネタやってると飽きちゃうのよ」と師匠。

ご飯もお酒もカツサンドも好き

Q:桂子師匠といえば、内海好江師匠との名コンビが印象深いです。約半世紀にわたってコンビを続けてこられた理由はなんだったのでしょう?
内海:はじめは嫌だったのよ、14歳も年下で当時は何もできなかったからね。ちょっとコンビ組んで一度別れたんだけど、ほかのコンビを組んだあとにまた「一緒にやらせてほしい」と戻ってきた。好江はよくあたしについてきてくれたの。根性があったし、感性もよかった。あとは男の好みが違ったからね(笑)。
Q: 1997年に好江さんを失われ、その後はおひとりで活動を続けてらっしゃいますが、芸人をやめようと思ったことはなかったのでしょうか?
内海:ない。しゃべりでお客さんをつかまえるのって楽しいもの。一度もありません。
Q:若い頃に2人のお子さんに恵まれましたが、正式に結婚したのは1999年で、現在のご主人でマネージャーでもある成田常也さんが初めてなんですね。
内海:そう、今の亭主(成田さん)は24歳年下。1年半で300通もの手紙を送られて口説かれたの。今じゃ、この人に身の回りのお世話をしてもらっている(笑)。
Q: 昨年1月に左脚の付け根を骨折、6月には背骨の圧迫骨折をされました。それでもなお舞台に立ち続けてらっしゃいます。逞しく毎日を過ごす秘訣を教えて下さい。
内海:健康のことなんて、いちいち考えすぎないこと。毎晩お酒を飲みますし、浅草の演芸場(東洋館)に出るときは、空き時間によくヨシカミ(浅草の老舗洋食店)に行きます。頼むのはカツサンドとビールね。
Q:これからの夢や目標はありますか?
内海:生涯現役、100歳になっても芸人を続けることね。(100歳まで)あと4年くらい、わけはないわ。
差し入れの日本酒「蓬莱泉・美」を見ながら、「これいいわねえ……早く飲みたいわ」と師匠。最高の笑顔。

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