CROSS TALK
SAKON Dialogue : 022

「できない」を超え、
社会に居場所をつくる #1

吉藤オリィ(株式会社オリィ研究所 代表取締役所長)
吉藤オリィ
ORY YOSHIFUJI
株式会社オリィ研究所・所長
SAKON Dialogue : 022
「できない」を超え、
社会に居場所をつくる #1
約2.6人に1人が65歳以上、約3.9人に1人が75歳以上になる社会、それはSFではなく西暦2065年の日本の姿である()。「人生100年時代において医療は進歩したけど、人生論のロールモデルが全然足りない」と話すのは、分身ロボット「OriHime」等で高い注目を集めるオリィ研究所の所長・吉藤オリィ氏。「孤独の解消」をミッションとするオリィ氏の発明品はALS患者や重度障害者のコミュニケーションツールとして活躍し、彼らの社会参加に大きく貢献している。オリィ氏に話を伺いながら、単身高齢者が急増する超高齢社会ニッポンの孤独を救う手がかりを山本左近が探った。前編、後編の2回に分けてお送りする。
※『平成30年版高齢社会白書』(内閣府)より。
photos : Nobuaki Ishimaru(d'Arc)
text : Yuichiro Nakada

AIとしか話せない人間に未来はない

山本左近(以下、左近):2019年1月にオリィさんの2冊目となる著書『サイボーグ時代』が出版されましたが、はじめにこの本で伝えたかったことを伺ってもよろしいでしょうか?

吉藤オリィ(以下、オリィ):この本で伝えたかったのは、2つあります。ひとつは、平成も終わり新しい時代を迎える今、われわれは本当に、今年できなかったことが来年にはできているという変化の中で生きているということ。
もうひとつは、自分がしたいことを、どうやったらできるようになるかを考え、そこにハードルがあれば乗り越えられるようにすることを投げかけています。

あらためて「障害とは何か」という話からすると、自分が「こうしたい」と思う目標や意志に対して、どうしても超えることができないハードルが目の前に立ち塞がっている状態、これが本来の障害なわけです。ただ健常であることを目的とするのではなく、できなくて困っていることをどうすれば困らなくできるか考えることがとても重要です。

左近:なるほど。「障害」については、2016年リオデジャネイロ・パラリンピックを見に行ったときに同じことを感じました。僕の中で「アスリート」の定義は、「自身の限界やその先に挑戦している人」なので、まさに彼らは真のアスリートだと感じたんです。

しかし、その一方で彼らは、一般社会の中では障害者とくくられてしまう。そうした区別はマジョリティ側からつくられた社会システムのためで、本来、われわれと彼らの間に壁といわれるものは何もないはずです。

各々のアスリートがやりたいこと・自分の目標や夢に対する超えるべき壁というのは、目標設定で必ず出します。本当に彼らが乗りこえていくべきものは、健常かそうでないかの壁ではなく、各々の目標の前に立ちはだかる壁だと、新聞に寄稿させていただいたんです。

オリィ:「できない」ことがあれば「できる」ようにしていくモノをつくればいいし、あるいは、すでにつくられたものをうまく生活の中に取り入れて、「できる」ようにすればいい。それが、われわれ人間が形成すべき文明であり、テクノロジーであるわけですから。

左近:そういった発想に至ったルーツはどこにあるのでしょうか?

オリィ:学校に行ってなかったことにあります。3年間半くらい不登校を経験しましたし、もともと体が弱いタイプでした。今の価値観では理解されづらいですが、今から15年前は「オタク」という言葉と同じで「変人」は悪い言葉でした。「普通」という言葉に囚われている社会の中で、「普通ではない」というハンディキャップがきわめて強かったんです。

だから、私はテクノロジーによって「人間の孤独を解消する」ことをミッションにしています。「サイボーグ」といえば人間と機械の融合ですが、人間の身体至上主義の時代において「体が動かない」というハンディキャップは、機械ではどうしても埋められないんです。

たとえば、電話では要件を伝えることができても、現地に行って参加して思い出をつくることはできません。自分の体をその場に運ぶことができなくなった瞬間に、自分がしたかったことのほとんどができなくなってしまったことは、自分の経験にも存在しています。

左近:オリィさんの実体験として、周りから変わっていると思われることについて、あるいは自分がなぜ社会と普通になじまないのかなど葛藤があったと思うのですが、その葛藤を乗り越えるための一つのツールが、分身ロボットの「OriHime」 (片手で持てるサイズの遠隔操作ロボット)だったと考えてよろしいですか?

オリィ:葛藤というよりも、自分が学校に参加できなかった。すなわち社会参加できなかったことで、極めてつらい孤独を感じたんです。その孤独の原因として「社会があるからだ」とか、「学校がそもそもなければ」という考え方も、しようと思えばできるわけですよ。

ある意味、人に合わせることができなかった私は、いったん社会から離れてAI(人工知能)の研究をやろうと、高専でAIの研究をしていた時期がしばらくありました。しかしその中で、徐々に違和感が大きくなっていきます。私が少なくとも社会復帰できたのは両親の支えや師との出会いがあったからで、AIがあったとして同じように復帰できただろうかということ、そして、自分がいるこの社会で、AIとは会話できるけれど人間と対話できないという人間が生まれてしまった先に望む未来はない。そう考え、「孤独解消としてのAIは少なくともまだ人類には早い」と、やめました。

「学校」にかかわらず、コミュニティというものの存在は、自分がそのコミュニティに合うか合わないかは別として必要なんです。ただ、コミュニティに参加するときには、われわれのこの「体」というものが非常に重要な役割を果たしています。体が動かないことによって学校に行けない、そうなってしまうと単純に他の子と得られる情報の差が生まれてくる。

周りの人は「吉藤の席はちゃんとある」、「誰も吉藤のことを忘れていないよ」と言ってくれる。しかし、行きづらくなったほうの人は、いくら「居場所がある」と言ってもらったとしても逆にネガティブに捉えてしまって、「自分なんか必要ないだろう」とか「クラスのお荷物になっているかもしれない」といった考えがどんどん積み重なってしまうわけです。

一人だけ家で勉強している状態にしたところで、学校に行っているクラスメイトと同じ帰属意識を統一することは不可能と考えています。やはり体が動かないと今の世の中、社会参加は非常に難しいんですね。ならば、もう1つ体がつくれないものかという発想は小学生の頃からもっていました。

それから今のインターネットができて。バイオテクノロジーで自分の分身をつくるのは今はまだ不可能でも、ロボティクスを組み合わせて、そこに自分がいるようにしか感じられないようなアバターをつくり出すことが今の時代なら可能だと感じました。それでAIから、「人と人とをつなぐ分身をつくろう」という方向に変わったという。

左近:実際の体はその場になくても、アバターを使って、体ごとリアル社会に参加しているような体験ができる方法を考えたわけですね。昨年末、期間限定で開かれた分身ロボットカフェ()がまさにそうだったと思うのですが、パイロット(ロボットを操作した外出困難者)の方々の感想はどうでしたか?
※ 2018年11月26日〜12月7日、日本財団ビルで開かれた「DAWN ver.β(ドーン・バージョンベータ)」では、重い障害をもった人などの外出困難者が自宅から全長120cmの移動可能な遠隔操作ロボット「OriHime-D」と「OriHime」を操作し、接客を行った。当時の様子はこちらから。


オリィ:今回のパイロットメンバー10名に細かくアンケートをとりましたが、結論から申し上げると100%楽しかったと。

外出困難者の方々は重い障害をもった人が多く、中には眼球しか動かないレベルの方もいらっしゃいます。たった10日間でしたが「出会い」があり、シフト上2、3日しか働かなかったメンバーがいたにも関わらず「同僚感」が生まれ、「一緒に働いた」という意識をもてた。彼らが一番求めていたものは、テレワークでは得られないそういう部分だったのだろうというのが今回の結論です。
3ヶ月以上経った今も、「OriHimeで旅行したいね」とか、「オフ会したいね」とか毎日のようにチャットが盛り上がっています。先日も何人かでUSJに行ったりしてたみたいです。

「できない」と思っていたことが「できた」ことで自信を得て、人が変わったようにツイッターでもポジティブな発信をめちゃくちゃするようになった。それでファンもたくさんできて、同じような状態にある人が「私もカフェで働いてみたい」と思うようになる。こういったポジティブなサイクルがつくり上げられている。

「OriHime」はあくまでツールです。実は私が取り組んでいるのは「OriHimeをつくる」ことではなく、こういった正のサイクルをつくることにあるんじゃないかと。

「ネットの世界に行けばいい」とは思わない

オリィ:人間誰しも20歳をピークに身体能力は衰えていきますけど、社会的必要性とか社会能力のピークは20歳じゃなくて、30代にかけても40代にかけても昇っていきます。ただし、60歳超えたくらいから下降傾向にあるのではないかと思っていて。
障害をもっていようがもってなかろうが、今、社会の中に役割がないかもしれないという状態で生きていくっていうのは、特に仕事大好き人間は……。

左近:定年退職して仕事から離れたら、何をしてよいかわからなくなってしまったという意見はよく聞きますね。

オリィ:人間の寿命が長くなることはすでにデータとして出ているので、どうすれば体に依存することなく、自分がしたかったことを続けられるのかという研究はしなくてはなりません。しかし今、私たちが難病の方々と研究している大きなミッションは、難病の方々だけに向けたロールモデルをつくることではないのです。

ほとんどの人がいつかは寝たきりの状態になりますし、そうならない人はある年齢になれば死ぬだけです。身体的な問題を考えると、100歳のときに走っている人が何パーセントいるのかという話にもなってきます。

左近:20歳のときと100歳のときで同じように元気はあっても、100メートル走のスピードは必ず変わってくる。誰しもがある意味、障害を抱えるようになるわけですよね。

オリィ:いつまでたっても若々しくあるためにコストをかけるのも別によいのですが、残念ながら、そこは不可逆変化です。20歳のときの状態を健康のピークとして、そこから先、下降傾向にある人たちが「俺はあのときの健康を取り戻したいんだ」と頑張っても、残念ながらそうはなりません。

ただ「健康で長生きしたい」と言うのではなく、「何をしたいのか」をちゃんと発見し続ける。そして、それを実行してくのに「何が足りていないか」を考えて、それを揃えるようにしていく。そこに足りていないものが、人生100年時代を迎える人類には圧倒的に多すぎます。

人生100年時代において医療は充足してきましたが、人生のロールモデルが全然足りていません。そこを埋めていくのが、先ほどお話しした寝たきりの人や重度の障害をもつメンバーたちの役割です。それをミッションとして今やっています。

左近:人は見た目とか身体的な特徴を乗り越えることはできないのだけれども、「モノ」が前面に立った瞬間、その後ろにある人や障害や偏見って乗り越えられてしまうんですよね。

僕が携わる障害者の就労支援をしている施設ではクッキーをつくっているのですが、「これは障害者の方がつくったクッキーです」とパッケージに書いたり、そう言いながら売ったりするのはおかしいと感じていて。ごく普通に販売して「おいしい」と感じていただくことが先で、誰がつくったのか尋ねられたら「障害者の方がつくったんです」と伝えればいいし、そこで気づいてもらえたらいい。

オリィ:バリアフリーでいうと、すでにインターネット上はバリアフリーを実現しているんです。ネット掲示板にせよSNSにせよ、そこって完全に男女も年齢もわからないゆえに関係ないという意味では老若男女平等社会が成立しています。健常者が勝手に自分たちと同じと考えていたとしても、その裏には耳が聞こえない人がいたりと、いろんな人達がいる。一方、問題はこっちのリアル空間です。

映画の「マトリックス」のようにすべての人間がネットの世界に行ってアバターで暮らすようになればそれはバリアフリーですが、残念ながら今の社会はそうではありません。

左近:だからといって、オリィさんはそこは目指さないでしょう?

オリィ:みんながやりたいことがこっち(リアル空間)にある限りは。たとえば会いたいおじいちゃんはネット世界にはいないわけです。少なくとも今のリアルを捨てて、「みんなネットの世界にいればいいじゃん」という風には私は考えないですね。
(#2に続く)
吉藤オリィ
ORY YOSHIFUJI
株式会社オリィ研究所・所長
1987年、奈良県生まれ。オリィ研究所 代表取締役所長。小学校5年から中学校2年まで不登校を経験。中学生の時、「ロボフェスタ関西2001」会場にいたロボット開発者・久保田憲司氏に師事するため、奈良県立王寺工業高等学校に進学。水平制御機構を搭載した電動車椅子の開発を行い、国内の科学技術フェアJSEC(ジャパン・サイエンス&エンジニアリング・チャレンジ)で文部科学大臣賞、世界最大の科学大会ISEF(インテル国際学生科学フェア)Grand Award 3rdを受賞。その後寄せられた多くの相談と自身の療養体験から、「人間の孤独を解消する」を人生のミッションとする。高専の情報工学科に編入し、人工知能の研究をしたのち、JSECのプロデューサーである渡邊賢一の勧めで早稲田大学創造理工学部へ進学。在学中に遠隔で操作できる全身20cmのテレワーク分身ロボット「OriHime」、神経難病患者のための視線文字入力装置『OriHime-eye』を開発し、2012年にオリィ研究所を設立。著書に『「孤独」は消せる。 私が「分身ロボット」でかなえたいこと』(サンマーク出版)、『サイボーグ時代 リアルとネットが融合する世界でやりたいことを実現する人生の戦略』(きずな出版)がある。
山本左近
SAKON YAMAMOTO
さわらびグループ CEO/DEO
レーシングドライバー/元F1ドライバー
1982年、愛知県豊橋市生まれ。幼少期に見たF1日本GPでのセナの走りに心を奪われ、将来F1パイロットになると誓う。両親に土下座して説得し1994年よりカートからレーシングキャリアをスタートさせる。2002年より単身渡欧。ドイツ、イギリス、スペインに拠点を構え、約10年間、世界中を転戦。2006年、当時日本人最年少F1デビュー。2012年に日本に拠点を移し、医療法人/社会福祉法人の統括本部長として医療と福祉の向上に邁進する。2017年には未来ヴィジョン「NEXT55 Vision 超幸齢社会をデザインする。」を掲げた。また、学校法人さわらび学園 中部福祉保育医療専門学校において、次世代のグローバル福祉リーダーの育成に精力的に取り組んでいる。日本語、英語、スペイン語を話すマルチリンガル。

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