CROSS TALK
SAKON Dialogue : 033

介護のこれからは、未来の当事者の手の中にある #2

町亞聖(フリーアナウンサー)
町亞聖
ASEI MACHI
フリーアナウンサー
SAKON Dialogue : 033
介護のこれからは、未来の当事者の手の中にある #2
前回(#1)に続き、町亞聖さんと山本左近による、幸せな超高齢社会の構築をテーマとしたトークイベントの内容を編集してお届けする。後半は、介護職の価値の高め方に加え、テクノロジーと介護の融合、介護保険の問題点などについて語り合う時間となった。介護に関する国の政策はまだ万全とはいえない。だからこそ新しい試みを積極的にしていく必要がある。「介護=つらい」というイメージを変わらずもつ人はいるが、その一方で多世代が共生するコミュニティづくりや、新しい介護スタイルを発信する若者が増えている。いつかは誰もが当事者になる、そのときを迎えるまでに幸せな超高齢社会づくりには何が必要か、イメージしてもらえたらと思う。
photos : Nobuaki Ishimaru(d'Arc)
text : Yu Shimamura

幅広いスキルで介護士の価値を上げる

山本左近(以下、左近):僕が取り組んでいるテーマのひとつは、「介護の仕事の価値を高める」です。「介護の仕事はやりたくない」って思う人はまだ多いですよね。「ほかに就ける仕事がない人が選ぶ職というイメージがある」と、とても正直におっしゃる方もいる。僕はそこから変えていきたいと考えています。

でも、怠ってはいけないのは、介護に携わる僕たち自身が、「介護の仕事の価値とは何か」「今よりも生産性を高めるためにはどうしたらよいか」を考えること。その努力はしないといけないと思います。世の中のビジネスの世界でいわれる「生産性」という指標を、介護の世界でも考えるということですね。

たとえば、1人の介護士が担当できる利用者の数は現状は3人が限界だとして、テクノロジーを併用することで4.5人担当できるようになるとします。今のサービスと質が変わらなければ、生産性は1.5倍になったと考えられますよね。

町亞聖(以下、町):より人から求められるものは、価値も高くなるということですね。

左近:そうですね。2008年にiPhoneが日本で発売されたときは、僕たちはスマホではなく携帯電話を使っていましたよね。あの時代って結構人の電話番号を覚えていたと思うんです。でも今は、電話番号を覚えることをしないし、そもそも聞くこともない。まだ10年ほど前の話ですが、テクノロジーの進歩によってこれだけコミュニケーションの仕方も変わってきている。

僕たちの身体は変わらないけど、周りの環境はこれからもテクノロジーの進歩に合わせて大きく変わっていく。
山間部に住んでいるおばあちゃんがこれまでは病院まで30分かけて通っていたのが、iPadでお医者さんと会話ができるようになって、遠隔医療ができるようになるかもしれない。バイタル(体温、呼吸、脈拍、血圧など)はセンサーを持っていれば病院側で把握できますよね。医療行為も介護も基本的にやることは変わらないんだけど、そのあり方が変わっていく。こういう時代になると思うんです。

町:左近さんの言う通りテクノロジーを利用した、そういう新しいムーブメントは、今どんどん起きていますので、その変化を柔軟に受け入れ取り入れるべきですね。
入浴や食事の介助も介護の仕事ですが、これからはサービスを利用する人の生活をより豊かにするケアや医療にはできない生活を支えるプロとして幅広いスキルが求められるようになるということだと思います。テクノロジーを使いこなすのは当然のことで、さらに認知症の人への対応が適切にできるスキルも備えていることなど、介護職の価値を高めるためにやるべきことは数限りなくあります。ただ給料を上げてほしい、待遇を改善してくれと言うだけではなく評価に値するケアを提供していく。私はその両輪が必要だと思っています。

左近: やりたくない人に介護の仕事をやってもらう必要があるかというと、僕はその必要はないと思っていて。この仕事をやりたいという人もいるし、介護職に生きがいを感じて、仕事を通じて自己実現ができる人もいる。
「介護はきつい」「大変」というイメージをもたれがちですが、介護の仕事にはすごく豊かな瞬間があって、心が温まる機会もあるわけです。

町:私も母の介護を体験したからこそ気づいたことがありました。介護の問題は全ての人にとって他人事ではありませんので、介護の仕事を知ってもらう機会をもっとつくる必要もあるかもしれません。介護現場で働く人の声を聴くなどの体験をしてみることで考え方やイメージは変わると思います。
若い介護職の人に話を聴いてみると、中学生くらいのときに高齢者施設に学校の生涯学習などで行ったことが原体験になっていることが多いんです。社会人になると仕事をして褒められることは少ないのが現実ですが、介護の現場には「ありがとう」という感謝の瞬間があふれていて、多くの介護職がやりがいや喜びを感じています。

左近: これから大事なのは、やりたくないけど介護の仕事に就く人を増やすのではなく、本当にそこで働きたいと思っている人たちが満足できる処遇や労働環境をつくっていくことだと思います。
実際に若い方が、介護はカッコいい、実は介護はこんなに楽しい仕事なんだよってことを発信しているケースもあります。こうした一つひとつの積み重ねが、この先の未来をつくるうえで大切なことだと思っています。僕と同じ考えをもつ人たちを応援して、介護の仕事に対して、もっとポジティブなイメージをもって携わってくれる人を増やせるようにしたい。

町:最近では別の業界から介護の世界に飛び込んでくる若い人も増えています。
例えば建築と介護がコラボレーションすることで、私もここに住んでみたいと思うサービス付き高齢者向け住宅が生まれたり、地域をデザインする人と介護が組み合わさることで、認知症でも障害者でも当たり前の暮らしが送れる町づくりを実現したりしています。やはり、介護の仕事は「人のお世話をする」ということだけじゃない。住んでいる地域をデザインしたり、仕事を生み出したり、暮らしをデザインしたりする「想像力」が求められる仕事だと思います。

私も障害をもつ母と向き合う中で「できないことではなく、できることを数える」ということを心がけていましたが、町までつくれなくても施設での暮らしの中で、一人ひとりにできることは何かを想像し、その人がどうゆう風に生きたいかを最後まで支える仕事が介護です。
「在宅医療では実は医師にできることはわずかなんです」と在宅をよく理解している医師はこう話します。「もう治らない」という医療の限界を感じるときがたとえ来たとしても、そのときにそばにいられる、手を握って最後まで一緒にいられるのが介護士さんなんです。逆に言えば「あなたにそばにいてほしい」と思ってもらえる介護士さんになってほしいです。このように介護の仕事を知っていただくと、もっと可能性を感じてもらえるのではないでしょうか。

「介護」という言葉自体がなくなる時代に

町: 日本の高齢化率は2017年時点で27.7%なので、すでに全体の約1/3が高齢者ということになります。ですが、このデータでいう「高齢」は65歳以上を指していて、今後は70歳まで働けるようにという話もあり、高齢者の定義自体が現実にそぐわないものになっていますので変える必要があるでしょう。でも人口は確実に減っていきます。1億人は確実に切るでしょう。

介護保険ができてから約20年が経ちました。私が母の介護に直面した1990年は当然介護保険もありませんでしたし、バリアフリーという言葉を知っている人も皆無、地域包括支援センターなどの相談窓口ももちろんありませんでした。そのときと比較すると格段に介護サービスは充実したと思います。
そんな中で、残念ながら介護殺人がなくならない現実があります。今はこんなにたくさん利用できるサービスがあって情報もあふれているのに、まだ介護に直面してからあわてる人が多い。介護サービスを上手に使いこなせていなかったり、必要な人にちゃんと情報が届いていなかったりということもあると思いますが、何より第三者の手を借りることや施設を選択することを、未だに申し訳ないと考えているからではないでしょうか。

左近:現場は目の前の仕事に必死になってしまうので、説明がまだまだ不十分なところはあると思います。そのことが偏った情報が広まってしまう原因になることもあると思います。

町:日本は先進国だといわれていますが、医療や介護の取材を続けていると、意識の面でこの国は決して先進国ではないと感じます。今は、40歳以上の人から介護保険料を徴収していますが、介護サービスを必要とする人が今後増加することは避けられませんので、40歳以上だけで足りるのかという議論などもありますね。

左近:医療の制度は古くからあって、介護制度はそれと比べると新しい。介護保険を必要とする人がどんどん増えるのは間違いありませんから、議論すべき点はたくさんありますね。今後は、介護保険を使わずに元気でいられる方をどうやって増やしていくかも議論される必要があります。つまり「健康に生き続けること」や「予防」に力を入れるという考え方です。

ただ、ずっと元気でいることは理想だけど、元気じゃなくなったときには支えてくれるネットがどうしても必要で、それこそが社会福祉です。体が動かなくなったら人生終わり、みたいな社会にはなってほしくない。国の経済も社会保障も大事ですから、バランスをとってやっていかないといけないなと思っています。
目標設定が高ければ高いほど、それに対してステップはハードになっていきますよね。でも目指すべきところは高くあるべきで。今の時点で何ができるのか、っていうところからステップを一つひとつ踏んで、新しい時代をつくっていくべきだと思います。

町:左近さんは、講演で「みなさん『福祉』ってなんだと思いますか?」という問いかけを毎回されていますよね。母のことで私は福祉を必要とする当事者のひとりとなりましたが、はじめは嫌な言葉だと思ったんです。でも今は、一人ひとりが“福祉とは何か”を考えるのはすごく大事だと思っています。どんな状態でもよりよく生きられる社会にするために何ができるかを考えていくことが福祉なのかな、と。
そして、そんな社会を誰かがつくってくれるのを待つのではなく、自分たちが自ら考え行動に移していく、意識改革や発想の転換をするときが来ているのだと思います。

左近:20代前半の人にはまだ全く想像もできないと思いますが、誰しも80歳になる日が必ず来る。自分たちも高齢者と呼ばれる歳になったときに、どんな社会であってほしいかということを、「高齢者」と呼ばれる手前の段階、20代から40代で考えてほしいな、と思います。「年を取っても幸せな社会ってなんだろう」ということですね。

まだまだ話し足りませんが、町さん、本日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございました!

町:こちらこそ、ありがとうございました。私は、「介護」という言葉そのものがなくなる時代がいつか来ればいいなと思っています。左近さんがこれからさらに経験を積み重ねていくと思うと、未来がとても楽しみでなりませんし、ぜひ新しい世界を見せてほしいと思っています。
町亞聖
ASEI MACHI
フリーアナウンサー
1971年、埼玉県蕨市生まれ。立教大文学部英文科卒業後、1995年に日本テレビ入社。アナウンサーとして多くの番組に出演後、報道部に異動。報道キャスター・記者を務める。2011年、フリーアナウンサーに転身。病気のため車いす生活を送っていた母の10年にわたる介護経験や、その母と父のがん看取り経験から、医療や介護をライフテーマとした取材活動を続けている。医療法人社団悠翔会が提供する、医療・介護の多職種のための学びのプラットフォーム「在宅医療カレッジ」の学長を務める。著書『十年介護』(小学館)等。
山本左近
SAKON YAMAMOTO
さわらびグループ CEO/DEO
レーシングドライバー/元F1ドライバー
1982年、愛知県豊橋市生まれ。幼少期に見たF1日本GPでのセナの走りに心を奪われ、将来F1パイロットになると誓う。両親に土下座して説得し1994年よりカートからレーシングキャリアをスタートさせる。2002年より単身渡欧。ドイツ、イギリス、スペインに拠点を構え、約10年間、世界中を転戦。2006年、当時日本人最年少F1デビュー。2012年に日本に拠点を移し、医療法人/社会福祉法人の統括本部長として医療と福祉の向上に邁進する。2017年には未来ヴィジョン「NEXT55 Vision 超幸齢社会をデザインする。」を掲げた。また、学校法人さわらび学園 中部福祉保育医療専門学校において、次世代のグローバル福祉リーダーの育成に精力的に取り組んでいる。日本語、英語、スペイン語を話すマルチリンガル。

関連記事

よく読まれている記事

back to top