CROSS TALK
SAKON Dialogue : 032

介護のこれからは、未来の当事者の手の中にある #1

町亞聖(フリーアナウンサー)
町亞聖
ASEI MACHI
フリーアナウンサー
SAKON Dialogue : 032
介護のこれからは、未来の当事者の手の中にある #1
今回のゲストは、くも膜下出血で重度の障害を負った母親を高校3年生のときから約10年間介護していた当事者であり、現在は医療・介護問題を中心に取材を続ける町亞聖さん。2025年には日本人の人口に対する65歳以上の割合が30%に到達する()ことが予想される日本だが、老老介護問題や介護スタッフの人材不足など、依然「介護」は早急に解決すべき課題が残されている。長生きによる資産枯渇リスクに備えてリタイアしない人が増えると思われる一方、ますます支え合いが必要になる人生100年時代をどう迎えればよいのか。幸せな超高齢社会の構築をテーマに山本左近と行ったトークイベントの内容を編集してお届けする。
※『平成30年版高齢社会白書(全体版)』より。
photos : Nobuaki Ishimaru(d'Arc)
text : Yu Shimamura

ごちゃまぜの共生社会から幸せな暮らしを

山本左近(以下、左近):町さん、本日はどうぞよろしくお願いします。

町亞聖(以下、町):左近さん、どうぞよろしくお願いします。左近さんは、愛知県で医療法人を立ち上げたお父さまが、今から60年以上も前にノーマライゼーションの精神を実現していたという環境で生まれ育っていますね。ですが世の中に目を向け、各地の福祉や介護の状況を見るとそうではありません。小さい頃から身の回りでは当たり前だったことが、まだ全国では実現できてないことがあるのはなぜだと思われますか?

左近:いきなり難しい質問がきましたね(笑)。僕が生まれ育った福祉村という環境の中では、身体に障害をもつ方、知的障害がある方、高齢者の方、みんなが一緒に生活をしていました。そのため、僕にとっては障害者と過ごすというのもごく当たり前のことだったんです。
ですが小学校に入ってから、それは特別なことだと少しずつ気づくようになりました。小学生のときはまだ、障害がある子と一緒に登下校する機会がありましたが、中学生になってからはほとんど接することがなくなりました。でも今は、これが日本の一般的な環境なんだろうな、と理解しています。

このことを考えるにあたって、とてもよい気づきにつながった思い出があります。
若い頃、ドイツにいたときの経験なんですけど。ある日バスに乗っていたら、視覚障害者と思われる人が乗車してきました。この方はイヤホンで音楽を聴いていたんですけど、音漏れがすごかった。そのとき僕は何も言わず、下を向いて黙っていたんです。だけど、近くにいたドイツ人のおばさんは「ちょっと、あなた。音がうるさいわよ」って注意したんですね。そのときに気づかされたのは、僕がその方が視覚障害者だから仕方ないかな、と思っていたということです。

町:なるほど。

左近:本来だったら音漏れしていることを教えてあげるべき場面で、僕は無意識のうちに差別して考えてしまっていた、と。ドイツ人のおばさんは確かにおせっかいだったのかもしれませんが、障害のあるなしにかかわらず教えることが「ノーマライゼーション」だと思ったんです。こうしたことがうまくできていないのが日本だと思います。
じゃあどうすればよいかというと、生活の中でもっと障害をもつ人と交流するチャンス、接触するチャンスがあるとよいのかなと。そういうチャンスが少ないことが日本の障害者福祉における課題なんじゃないかな、と考えています。

町:左近さんは、「超高齢社会」の「高」の字を幸せの「幸」に変えた、「超“幸”齢社会をデザインする」というスローガンを掲げていますね。

左近:「幸せな超高齢社会をつくる」と聞くと、現時点で高齢な方をイメージされる方が多いと思うんですけど、これは、「僕たち世代が高齢者になったときにどんな社会をつくりたいのか」っていうメッセージでもあるんです。
高齢者であっても、お子さんであっても、障害があっても、どんな方でも、それぞれ必要な役割があって価値がある。共生しながらそれを見出していける社会をつくりたい。それが、「超“幸”齢社会をデザインする」という言葉に込めた思いです。

町:左近さんが運営に携わっている福祉村もそうですけど、そういった取り組みを始めている施設も多くありますね。たとえば金沢市では、雄谷良成さんという方が「Share金沢」というコミュニティをつくっていて、子どもから大人、高齢者、障害者もみんなが一緒に暮らせる街づくりを目指しています。

左近:障害があっても自己実現できる人や、自分で稼ぐことができる人はいます。また、本当は介護する側も支えてもらう必要があります。僕は、共生社会は素晴らしいと思っているので、どちらか一方が支える側、もう一方が支えられる側といった関係にならない社会にしたいなって考えているんです。

当事者や現場を知らないから誤解が生まれる

町:少し私の話をさせていただくと、私が高校3年生のときに母がくも膜下出血という病気で倒れ、右半身麻痺と言語障害という後遺症のため重度の障害者となりました。その後10年の間、母は車いすの生活を送り、末期がんで亡くなるまで家族全員が介護の当事者でした。
私自身の経験からいっても、介護の当事者は高齢者や障害者といった被介護者だけではなく、現場で働く人も当事者、家族など関係のある人もみんな当事者だと思うんですよ。その当事者それぞれが生きやすくなる社会にできるとよいなと思います。

日本には、がん予防や早期発見を推進するために制定された「がん対策基本法」という法律があります。2006年に施行された法律ですが、実は成立の後押しをしたのはがん患者さんやその家族です。歴史と表現するにはまだ最近の出来事ではありますが、当事者の皆さんが命をかけて声を上げて闘ったから成立したのです。民主党議員だった山本孝史さん(2007年逝去)が、自らもがんを発症したことを公表し、がん患者の代表となり、法案を成立させることの重要性を当事者の一人として国会で訴えた姿は今も忘れられません。

また、国連で採択された障害者権利条約が作られた際は、「自分たちのことを自分たち抜きで決めないでくれ(Nothing about us without us)」が合言葉として使われました。当事者の声抜きに物事が動くというのは、やっぱりナンセンスだと思うので、認知症に関してもぜひ当事者の声に耳を傾けてほしいと思います。

左近:当事者の話でいうと、僕たちの共通の知人に若年性認知症の丹野智文さんという方がいますよね。「認知症になったら人生終わりじゃないんですよ」と言う、当事者である彼から聞いた話で、認知症についてとても印象に残っている言葉があります。

世の中には、メガネをかけている方が多くいらっしゃいますよね。視力を補う必要があるからメガネをかけているわけですが、その視力は当然一人ひとり違う。0.1の人もいれば、0.05の人もいる。遠視の人も近視の人もいる。でも、それぞれが違うメガネをかければ生活ができる。認知症もそれと同じだと。
認知症にもいろいろタイプがありますし、度合によっても違います。認知症になったら、すぐ寝たきりで何もわからなくなるわけではない。そう決めつけないでもらえたら、と彼は言っていますよね。

町:認知症もなってしまったら何もできないと考えてしまう人はまだ大勢います。丹野さんに会ったら、みなさん認知症の概念を覆されると思います。丹野さんが示してくれている姿が認知症の「未来」ではなく、全ての認知症の人の「今」になってほしいと心から願っています。

左近:まだまだ世の中って誤解が多いし、偏見もある。でも、その偏見に対してどれだけ訴えても、当事者のメッセージに比べたら弱い。だからこそ、僕は当事者の人たちと一緒になって、彼らが前に出ることを支える仕事ができたらいいなと思います。
丹野さんのような人に出会って、1つの例を知ってもらうだけでもイメージって変わるじゃないですか。「事実を知らない」ということは「当事者と接していない」ことによるものが大きい。だから知る機会をもっとつくれるようにしたいですね。

町:知ることから、ですね。病気になることは決して不幸なことではなく、難病であっても家族や仲間のサポートを受けて当たり前の暮らしをしている方々を私は知っています。不幸だと思う人は、その心のあり方が不幸なのであって。もちろん、大変さはあると思います。「不便さはある」とみなさんおっしゃっていますけど、不便なのであって決して不幸ではないのです。

私の母も40歳の若さで重度の障害者になりましたが、母は不幸ではありませんでした。母から多くのことを学べた私たち家族も同じです。母は最期まで「感謝だわ」という言葉を言えた人でした。子宮頸がんの末期で最期は寝たきりになりましたが、今から20年前に、住み慣れた我が家で最期まで過ごし、家族に見守られ息を引き取りました。自分の運命をありのまま受け入れ、終末期に家族や支えてくれた医師や訪問看護師さんに「ありがとう」と笑顔で感謝を伝えられた母はすごい、と私は思っています。

もし今の私が母と同じような状態になったら、絶対に泣き叫んだり「なんで自分はこんなことになったんだ」と運命を恨んでしまうかもしれませんが、そうではなく、限りある命を輝かせた母のように、どんな状況になっても感謝ができる心をもてるようになりたいなと思っています。
(#2に続く)
町亞聖
ASEI MACHI
フリーアナウンサー
1971年、埼玉県蕨市生まれ。立教大文学部英文科卒業後、1995年に日本テレビ入社。アナウンサーとして多くの番組に出演後、報道部に異動。報道キャスター・記者を務める。2011年、フリーアナウンサーに転身。病気のため車いす生活を送っていた母の10年にわたる介護経験、その母と父のがん看取り経験から、医療や介護をライフテーマとした取材活動を続けている。医療法人社団悠翔会が提供する、医療・介護の多職種のための学びのプラットフォーム「在宅医療カレッジ」の学長を務める。著書『十年介護』(小学館)等。
山本左近
SAKON YAMAMOTO
さわらびグループ CEO/DEO
レーシングドライバー/元F1ドライバー
1982年、愛知県豊橋市生まれ。幼少期に見たF1日本GPでのセナの走りに心を奪われ、将来F1パイロットになると誓う。両親に土下座して説得し1994年よりカートからレーシングキャリアをスタートさせる。2002年より単身渡欧。ドイツ、イギリス、スペインに拠点を構え、約10年間、世界中を転戦。2006年、当時日本人最年少F1デビュー。2012年に日本に拠点を移し、医療法人/社会福祉法人の統括本部長として医療と福祉の向上に邁進する。2017年には未来ヴィジョン「NEXT55 Vision 超幸齢社会をデザインする。」を掲げた。また、学校法人さわらび学園 中部福祉保育医療専門学校において、次世代のグローバル福祉リーダーの育成に精力的に取り組んでいる。日本語、英語、スペイン語を話すマルチリンガル。

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