COLUMN

信仰と共にある
暮らし

北京養老施設事情①
エイジング・イン・プレイス
今、中国の北京、上海といった大都会では、平均寿命が50歳前後だった1950年代から、60年以上が過ぎ、80歳を超えた。長寿社会となった中国だが同時に高齢化が大きな課題となっている。
2007年に開設された「双縁敬老院」は、北京郊外に増えつつある養老介護施設のひとつで、現在、198床、10人の介護スタッフが要介護、要支援者の居室の清掃、食事や入浴、排せつの介助などにあたる体制だ。月額入居費は、介護、支援の程度にもよるが2080元~3080元(約37440円~55440円)と、北京では中級からやや安めの料金体系。経営者が村の出身者ということもあり、入所者に近隣の村のお年寄りも少なくない。住み慣れた場所で年齢を重ねてゆく「エイジング・イン・プレイス」の実践の地でもある。さらに大きな特色は、その運営に浄土宗をとりいれていることだ。
photos : Hitoshi Iwakiri
text : Junko Haraguchi & Keisuke Ueda

地域と人々を結ぶ。
仏教を掲げた運営が特色

 双縁敬老院のまわりには今も豊かな自然が残り、敬老院の周辺には果樹園が広がる。同村の出身者である曹暁紅さんが様々な養老介護施設で働く経験を経て、2007年に自らが手掛ける施設を立ち上げた。その立地も含めて、地域住民の利用者が多いという点から、この施設は、エイジング・イン・プレイス型の施設としてスタートしたということがわかる。そして開所後しばらくしてから、その施設運営に浄土宗をとりいれたのだが、双縁敬老院と浄土宗の結びつきは次のようなことだったらしい。
 施設の背後にそびえる鳳凰嶺には、千年もの歴史を誇る名刹、「龍泉寺」がある。2014年、この龍泉寺の僧侶が足の怪我をきっかけに双縁敬老院に入所、その間、まわりの人々に仏の教えを説き始めた。曹院長自身も、その教えに感銘を受け、施設利用者にもたらす良い影響にも気づき、2015年、利用者の意見を聞いたうえで、運営にとりいれる決定をしたという。それはごく最近のことだったのだ。

入所者の心身を支える
スピリチュアルケア

 「その時はどんな意見がでたのですか?」と双縁敬老院の事務スタッフとして今回、案内にあたってくれた林芳芳さん(25歳)に聞いてみた。「利用者のお年寄りの大多数は賛成でした。ただ食事が菜食になると物足りない、といった意見はありました。でも今は菜食の良さを受け入れてもらっているようです」と林さん。
 施設の利用者が仏教徒になるか、ならないかはあくまで自由意志だ。毎日、午前と午後には、仏堂に集まって念仏の修行の時間があるが、それも参加は自由。毎回、60人ほどが集まる。
 「念仏の時間には読経で声をあげながら、仏堂をゆっくり巡りますが、それが運動にもなって心身によい影響をもたらします。入所者どうしも、同じ信仰を持つ者としてお互いが寛容に接することができます」と林さんは仏教をとりいれたスピリチュアルケアの良さを挙げる。
「それでも、お年寄りとの会話は、なかなか共通の話題が見つからず難しいこともある。でもここでは仏の教え、という共通の関心があり、心を開いた会話にもつながります」という。

エイジング・イン・プレイス、
寛容と支え合いの精神

 林さん自身は子供時代からの敬虔な仏教徒だが、以前は会計の仕事をしていて、偶然知った双縁敬老院に転職した。子供のころからお年寄りが好きだったのも転身を後押ししたという。事務スタッフだが、介護スタッフの手が足りない時はサポートにもまわり、利用者とのコミュニケーションの機会は多い。
「みなさんには本当の孫のように可愛がっていただき幸せ。私もまた本当の祖父母に尽くすように日々役立てたらと思っています」と林さん。
 それが、信仰を施設の運営に採用していることのメリット。と書いてしまうのは簡単だが、そう書いただけでは、なにか安直あり、また、実際のイメージとは随分と掛け離れてしまう。信仰のために生きるのではなく、信仰と共に暮らす? 信心の浅い私にとっては、どこか懐かしい長屋の暮らし、あるいは、気心の知れた下町の居心地の良い町内会の雰囲気に似ているな、などと思ったりもするのだが、それこそが住み慣れた町に暮らす、エイジング・イン・プレイスの姿なのかもしれない。さしずめ、林さんは、町の人たちに可愛がられる看板娘といったところだろうか……。

信仰型運営の裏に隠された、
長寿コミュニティの本質

 双縁敬老院を訪問して、そこに私が見たのは、施設を利用する老人たちの明るい笑顔、介護に従事する若いスタッフたちとの快活なおしゃべり、穏やかな利他的なつながり、あるいは、お互いに感謝する気持ちを大切にして生きることの幸福感だった。人間は社会的な動物と言われるが、考えてみれば、宗教も人類が生み出した社会文化の一つだろう。世界には様々な信仰があるが、共通するのは、共同体を営む、あるいは、人生における幸福とは何か? を考えるための知恵でもあるという点だろう。
 人間はみな、生まれたその瞬間から、喜びや悲しみ、楽しいことや辛いことなど様々な時を刻んで生長していく。時は老いを急ぐと言うが、一方で、人生とは、経験や体験、あるいは記憶という名の過去に向かっても延びていくものだったりもする。生きるということは、そんな人生の物語が持っている力に、力をもらいながら、どうにかして自分の人生を仕上げていく作業なのかもしれない。長寿社会において、そんなお互いの一つひとつの作業を丁寧につないでいくこと。それが長寿の味方としての新しい生き方なのかもしれない。

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