CROSS TALK
SAKON Dialogue : 006
最後の10年を幸せに生きるには
佐々木淳(医療法人社団悠翔会 理事長・診療部長)
佐々木淳
JUN SASAKI
医療法人社団 悠翔会
理事長・診療部長
理事長・診療部長
SAKON Dialogue : 006
最後の10年を幸せに生きるには
誰にも等しく人生の終幕は訪れる。人生最後の10年は、必ずや医療・介護のお世話になるに違いない。その10年を充実感に満ちた時間にするには、ケアをする側・される側にとって何が必要であり、重要なのだろうか。前回に引き続き、在宅医療や自立支援に尽力する医療法人社団悠翔会の佐々木淳医師に、『長寿のMIKATA』編集長の山本左近が話をうかがった。介護保険法の一部改正にともない、2017年4月から全国の事業所で始まった介護予防・日常生活支援総合事業(略:総合事業)。「住み慣れた地域で、高齢者ができるだけ健康で自立した生活を送れるように生活支援サービスを総合的に提供するための事業だが、課題は多い。どうすれば私たちは心安らかに超「幸」齢社会を迎えることができるのか。
photos : Takuyuki Saito(d'Arc)
text : Masaki Takahashi
地域包括ケアシステムのあるべき姿は
高齢者が幸せに過ごせる町をつくること
山本左近(以下、左近):前回は、高齢者自立支援への理想的な方法論をお聞かせいただきました(SAKON Dialogue : 005参照)。今回はさらに深掘りして、「地域包括ケアシステム(地域住民に対する医療・介護・福祉などのサービスを、関係者が連携・協力して一体的・体系的に提供する体制)」について佐々木先生のお考えをぜひお伺いしたいと思います。
まず、高齢者が人生の最後まで地域社会に参加できる環境をつくるには、先生は何が重要だとお考えですか?
佐々木淳(以下、佐々木):地域包括ケアシステムについては、おそらく左近さんも同様のお考えだと思うのですが、医療保険や介護保険を整備・向上させるだけで地域で支えられるようになるかというと絶対にできないと思います。そういう支えられ方をしたところで、高齢者の方々はうれしくないはず。もっと自主的に地域に関わっていける環境の構築を望んでいるのではないでしょうか。例を挙げるなら、この頃めっきり少なくなった駄菓子屋のような。
店番のおばあちゃんは、地域や近所の子供たちとつながりを持ち、住み慣れた地域で自分らしい暮らしを最期までまっとうできた。今の団塊の世代などは、この先仕事をリタイアした後、残りの長い人生をどう送っていくかを考えなくてはいけないでしょう。会社を辞めたら会社人ではなく地域人として生き、何らかのかたちで地域に関わっていける場所や絆をつくっていくことが重要になっていく。そういった新しい文化が創出できれば、2025年から30年頃には新たな町のかたちが生まれると思います。
左近:早くから下地づくりをする必要がありますよね。長い間、地域との関わりがなかった高齢者をいきなり外に引っ張り出して、「何か役割を持ちましょう」と言っても正直難しいですから。自分たちの世代もやがて高齢を迎えるわけで、その時に今、自分が置かれている環境のままでいいのかという自問自答は常にしています。
佐々木:2060年には高齢化率40%時代に突入します。そのうちの34%超が認知症になるといわれています。数字的にいうと、実に日本人の7人に1人が認知症になる時がやって来るんです。社会がそうなった時、認知症の人をひとくくりにグループホームに押し込めても、きっとパンクしてしまうでしょう。そうではなく、町全体がグループホームとして機能し、お互い支え合うようなかたちにならないとやがて大きな壁にぶつかります。
仮に認知症の人が電車に轢かれた時に、鉄道会社が家族に賠償請求する既存の社会ではなく、認知症の人でも安全に徘徊できるような町や社会に変えていかなくちゃいけないと思います。
左近:その通りですね。認知症になったら家族に迷惑をかけてしまい、そうなったら生きる価値がないと思い詰めてしまうような社会状況から脱却するには、今はその当事者でなくてもいつしか周りの人も含めて「自分事」になると自覚しなくてはいけない。先生がおっしゃる社会環境やシステムを誰かにつくってもらおうと期待するばかりではだめで、自分たちでつくっていくんだという意識が大事になっていくと思いますね。
佐々木:自分が将来認知症になった時に、幸せに過ごせる町の姿を想像すれば、おのずと必要なインフラやサービスを含めた社会のあり方が見えてくる。ただしそれだけに依存するのではなく、人と人との支え合いの部分を育てていかなくてはいけないと思います。
左近:そうした考え方が広まり、社会システムとして具現化するにはもう少し時間がかかるかもしれませんが、今からすぐにでも考え始めなくてはいけないですね。佐々木先生のような考えをお持ちの方がいらっしゃるのは私としても非常に心強い限りです。
まず、高齢者が人生の最後まで地域社会に参加できる環境をつくるには、先生は何が重要だとお考えですか?
佐々木淳(以下、佐々木):地域包括ケアシステムについては、おそらく左近さんも同様のお考えだと思うのですが、医療保険や介護保険を整備・向上させるだけで地域で支えられるようになるかというと絶対にできないと思います。そういう支えられ方をしたところで、高齢者の方々はうれしくないはず。もっと自主的に地域に関わっていける環境の構築を望んでいるのではないでしょうか。例を挙げるなら、この頃めっきり少なくなった駄菓子屋のような。
店番のおばあちゃんは、地域や近所の子供たちとつながりを持ち、住み慣れた地域で自分らしい暮らしを最期までまっとうできた。今の団塊の世代などは、この先仕事をリタイアした後、残りの長い人生をどう送っていくかを考えなくてはいけないでしょう。会社を辞めたら会社人ではなく地域人として生き、何らかのかたちで地域に関わっていける場所や絆をつくっていくことが重要になっていく。そういった新しい文化が創出できれば、2025年から30年頃には新たな町のかたちが生まれると思います。
左近:早くから下地づくりをする必要がありますよね。長い間、地域との関わりがなかった高齢者をいきなり外に引っ張り出して、「何か役割を持ちましょう」と言っても正直難しいですから。自分たちの世代もやがて高齢を迎えるわけで、その時に今、自分が置かれている環境のままでいいのかという自問自答は常にしています。
佐々木:2060年には高齢化率40%時代に突入します。そのうちの34%超が認知症になるといわれています。数字的にいうと、実に日本人の7人に1人が認知症になる時がやって来るんです。社会がそうなった時、認知症の人をひとくくりにグループホームに押し込めても、きっとパンクしてしまうでしょう。そうではなく、町全体がグループホームとして機能し、お互い支え合うようなかたちにならないとやがて大きな壁にぶつかります。
仮に認知症の人が電車に轢かれた時に、鉄道会社が家族に賠償請求する既存の社会ではなく、認知症の人でも安全に徘徊できるような町や社会に変えていかなくちゃいけないと思います。
左近:その通りですね。認知症になったら家族に迷惑をかけてしまい、そうなったら生きる価値がないと思い詰めてしまうような社会状況から脱却するには、今はその当事者でなくてもいつしか周りの人も含めて「自分事」になると自覚しなくてはいけない。先生がおっしゃる社会環境やシステムを誰かにつくってもらおうと期待するばかりではだめで、自分たちでつくっていくんだという意識が大事になっていくと思いますね。
佐々木:自分が将来認知症になった時に、幸せに過ごせる町の姿を想像すれば、おのずと必要なインフラやサービスを含めた社会のあり方が見えてくる。ただしそれだけに依存するのではなく、人と人との支え合いの部分を育てていかなくてはいけないと思います。
左近:そうした考え方が広まり、社会システムとして具現化するにはもう少し時間がかかるかもしれませんが、今からすぐにでも考え始めなくてはいけないですね。佐々木先生のような考えをお持ちの方がいらっしゃるのは私としても非常に心強い限りです。
ギアチェンジをし、自ら意思決定をする。
それが医療・介護に正しく向き合う方法
左近:もうひとつ、総括的な視点で佐々木先生にぜひお聞きしたいことがあります。高齢者が人生最後の10年を幸せに過ごすためには、この先どのように医療・介護と向き合っていけばよいでしょうか。
佐々木:非常に難しい質問ですが、少なくとも医療に関して言えば、「自分の体のことは自分で責任を持つ」というのがとても大事だと思います。高齢になれば当然体のコンディションが変化し、病気も増える。そうなった時すべてを医者まかせにせず、セルフマネジメントできるようにしなくてはいけない。まず若いうちには、治療可能な病気は治しておくこと。慢性疾患を放置しておくと、大きな合併症を招くからです。高齢になってからは、多様な薬を服用しないように注意すること。多様な薬を服用すると、かえって具合が悪くなることがあるからです。もうひとつは「ギアチェンジをする考えを持つ」ことです。
左近:「ギアチェンジ」とおっしゃるのは?
佐々木:「私の人生は今この辺にさしかかっているから、そろそろシフトダウンしよう」とか「人生の下り坂にある中で、できればもっと景色のいい道を下っていきたい」といった風に、年齢に則したビジョンを持つこと。自分自身で人生をマネジメントしないと、延命最優先の医療に縛られてしまいます。
今は98歳のご老人が心停止で病院に運ばれると、開胸されて心臓マッサージが施される時代です。それが果たして本当に幸せかどうか。自分の命を医療に支配されているってとても不幸なことのように思えるんです。介護に関しても、「こういう人生を送りたい」という本人の意思決定が根本にあるべきだと思うんです。「ギリギリまで治療したい」のか、「治療のためにタバコをやめるくらいならタバコで死んでもいい」くらいの自己決定があってもいい。
言いたいことを言えず、納得できないかたちで人生を終えるというのはとても辛いことです。譲れない部分があればきちんと伝えたほうがいいですし、周りも言える環境を整えてあげるべきだと思います。
左近:自己決定というと素晴らしいと思うんですが、僕はときに酷だなと思うこともあると思うんです。介護が必要なほど弱っている時に、「あなたはどうしたいんですか?」と問われ、計画が作られ、介護計画という契約書にサインっていう方式自体がとても欧米的なものなんですよ。日本人的に考えると、自己決定よりもわりと周りに合わせながら生きてきた人もいると思うのに晩年にいきなり自己決定と契約ってみたいな。
その意味でいうと家族との関係もとても重要ですよね。認知症で判断できない方の場合はどうしても家族の意向が強くなる部分もあるわけですよね。
高齢者医療や介護といった人生の最期のフェーズに携わっていく現場の人間は、相手のエンディングストーリーを上手につくり上げていく役割が求められていると思います。医療やケアを受ける人たちの話をよく聞き、想いを尊重し、納得できるプロセスをガイドすること、それが私たちを含めた医療・介護に携わる者の責務だとあらためて確信しました。
佐々木:人生の終盤において、誰かとポジティブに話し合いながら過ごしていける関係の構築が、医療・介護のひとつの理想のかたちだと思います。
左近:しかし一方で、過剰な業務に追われる介護・ケアの現場では、そうした理想を追求する余裕をなかなか持てない側面もあります。そのギャップを埋めるには何が必要でしょうか?
佐々木:プロセス評価型の現場では、理想から乖離していくばかりでしょうね。業務プロセスのチェックシートばかり眺めていたら、次第に人が見えなくなっていく。プロセスの励行ではなく誰かの生活を支えましょうというファジーなスタンスこそ、実はケアする側・される側がお互いに気持ちいい関係になると思います。そのためには支える側の余裕が非常に大切だと思います。私が尊敬する小澤竹俊先生(訪問診療医)の言葉に「誰かを支えようとしている人ほど、支えを必要としている」というものがあるんですが、ケアする人たちを周囲の人たちが支えられる仕組みも地域や社会でつくっていくべきだと思います。
左近:それを支えるためには、テクノロジーの積極的な活用が必要になると思います。
人が人を支えると同時に、支えようとしている人をテクノロジーが支える仕組み。今考えている以上に、私たちにできることがすでにあるはずなんです。現在はそれができる環境になっていますよね。夢物語でもなんでもなく、近未来でもなく。そのシステム構築を目指すうえで、本日は大変核心的な視点をご提示いただいたと思います。
貴重なお話を聞かせていただき、本当にありがとうございました。
佐々木:非常に難しい質問ですが、少なくとも医療に関して言えば、「自分の体のことは自分で責任を持つ」というのがとても大事だと思います。高齢になれば当然体のコンディションが変化し、病気も増える。そうなった時すべてを医者まかせにせず、セルフマネジメントできるようにしなくてはいけない。まず若いうちには、治療可能な病気は治しておくこと。慢性疾患を放置しておくと、大きな合併症を招くからです。高齢になってからは、多様な薬を服用しないように注意すること。多様な薬を服用すると、かえって具合が悪くなることがあるからです。もうひとつは「ギアチェンジをする考えを持つ」ことです。
左近:「ギアチェンジ」とおっしゃるのは?
佐々木:「私の人生は今この辺にさしかかっているから、そろそろシフトダウンしよう」とか「人生の下り坂にある中で、できればもっと景色のいい道を下っていきたい」といった風に、年齢に則したビジョンを持つこと。自分自身で人生をマネジメントしないと、延命最優先の医療に縛られてしまいます。
今は98歳のご老人が心停止で病院に運ばれると、開胸されて心臓マッサージが施される時代です。それが果たして本当に幸せかどうか。自分の命を医療に支配されているってとても不幸なことのように思えるんです。介護に関しても、「こういう人生を送りたい」という本人の意思決定が根本にあるべきだと思うんです。「ギリギリまで治療したい」のか、「治療のためにタバコをやめるくらいならタバコで死んでもいい」くらいの自己決定があってもいい。
言いたいことを言えず、納得できないかたちで人生を終えるというのはとても辛いことです。譲れない部分があればきちんと伝えたほうがいいですし、周りも言える環境を整えてあげるべきだと思います。
左近:自己決定というと素晴らしいと思うんですが、僕はときに酷だなと思うこともあると思うんです。介護が必要なほど弱っている時に、「あなたはどうしたいんですか?」と問われ、計画が作られ、介護計画という契約書にサインっていう方式自体がとても欧米的なものなんですよ。日本人的に考えると、自己決定よりもわりと周りに合わせながら生きてきた人もいると思うのに晩年にいきなり自己決定と契約ってみたいな。
その意味でいうと家族との関係もとても重要ですよね。認知症で判断できない方の場合はどうしても家族の意向が強くなる部分もあるわけですよね。
高齢者医療や介護といった人生の最期のフェーズに携わっていく現場の人間は、相手のエンディングストーリーを上手につくり上げていく役割が求められていると思います。医療やケアを受ける人たちの話をよく聞き、想いを尊重し、納得できるプロセスをガイドすること、それが私たちを含めた医療・介護に携わる者の責務だとあらためて確信しました。
佐々木:人生の終盤において、誰かとポジティブに話し合いながら過ごしていける関係の構築が、医療・介護のひとつの理想のかたちだと思います。
左近:しかし一方で、過剰な業務に追われる介護・ケアの現場では、そうした理想を追求する余裕をなかなか持てない側面もあります。そのギャップを埋めるには何が必要でしょうか?
佐々木:プロセス評価型の現場では、理想から乖離していくばかりでしょうね。業務プロセスのチェックシートばかり眺めていたら、次第に人が見えなくなっていく。プロセスの励行ではなく誰かの生活を支えましょうというファジーなスタンスこそ、実はケアする側・される側がお互いに気持ちいい関係になると思います。そのためには支える側の余裕が非常に大切だと思います。私が尊敬する小澤竹俊先生(訪問診療医)の言葉に「誰かを支えようとしている人ほど、支えを必要としている」というものがあるんですが、ケアする人たちを周囲の人たちが支えられる仕組みも地域や社会でつくっていくべきだと思います。
左近:それを支えるためには、テクノロジーの積極的な活用が必要になると思います。
人が人を支えると同時に、支えようとしている人をテクノロジーが支える仕組み。今考えている以上に、私たちにできることがすでにあるはずなんです。現在はそれができる環境になっていますよね。夢物語でもなんでもなく、近未来でもなく。そのシステム構築を目指すうえで、本日は大変核心的な視点をご提示いただいたと思います。
貴重なお話を聞かせていただき、本当にありがとうございました。
佐々木淳
JUN SASAKI
医療法人社団 悠翔会
理事長・診療部長
理事長・診療部長
1973年、京都府京都市生まれ。1998年に筑波大学医学専門学群卒表後、三井記念病院の内科に入局。2006年に在宅療養支援診療所「MRCビルクリニック」を開設し理事長に就任する。2008年に同クリニックを悠翔会に改名した。現在都内近県合わせて11拠点をかまえ、総患者数約3500人、年間の訪問件数はのべ10万件を超える。佐々木医師本人は、プライベートではトライアスロンに打ち込むスポーツマンでもある。
山本左近
SAKON YAMAMOTO
さわらびグループ CEO/DEO
レーシングドライバー/元F1ドライバー
レーシングドライバー/元F1ドライバー
1982年、愛知県豊橋市生まれ。幼少期に見たF1日本GPでのセナの走りに心を奪われ、将来F1パイロットになると誓う。両親に土下座して説得し1994年よりカートからレーシングキャリアをスタートさせる。2002年より単身渡欧。ドイツ、イギリス、スペインに拠点を構え、約10年間、世界中を転戦。2006年、当時日本人最年少F1デビュー。2012年に日本に拠点を移し、医療法人/社会福祉法人の統括本部長として医療と福祉の向上に邁進する。2017年には未来ヴィジョン「NEXT55 Vision 超幸齢社会をデザインする。」を掲げた。また、学校法人さわらび学園 中部福祉保育医療専門学校において、次世代のグローバル福祉リーダーの育成に精力的に取り組んでいる。日本語、英語、スペイン語を話すマルチリンガル。