MIRAI
山本左近の未来考察『医療福祉×テクノロジー』
第2回

AIは日本の未来を救う

AIも人間と同じように進化

 AIやロボットと聞くと、何をイメージするでしょうか。AI は「Artificial Intelligence」の略で人工知能を意味しますが、じつは日本人は世界でもっともロボットに対して親近感がある国民だと言われています。その理由は、漫画やアニメです。

 僕たちがイメージするロボットは、鉄腕アトムやドラえもん、アラレちゃんなどに代表されると思います。しかしながら、彼らのように感情を持つ、自立したロボットが人間と共生する社会の実現はもう少し先になりそうです。

 現在活用されているAIは「人間が知能を使ってすることを機械に演算処理をさせているもの」であって、独自の感情を持ってはいません。

 僕はAIの発展のなかで、近年注目を浴びている大切な要素は「ディープラーニング」だと考えています。ディープラーニングは人工知能の要素の1つであり、簡単にいえば、以下の2つの作業を同時に繰り返しながら、だんだんと判断の精度を上げていくことです。

1)自分の中にあるルールに沿って選ぶ作業
2)体験した情報の中から、新しい知識を見つける作業

 難しく聞こえるかもしれませんが、トライ&エラーを重ねながら、習熟してエラーを少なくしていくこと。これは、人間と同じようなプロセスで、何かを学習していくことを意味しています。この積み重ねた学習によって、オセロや将棋、囲碁やクイズなどでは、人間を打ち負かすレベルにまで到達しています。

 そして長い研究を経て、現在のロボットやAIには、これまでと決定的に違う歴史的な出来事も生まれています。それは、「ロボットが眼を持つようになった」ということです。

モラベックのパラドックスを克服

 オーストラリアの生物学者アンドリュー・パーカー著の『眼の誕生──カンブリア紀大進化の謎を解く』(草思社)によると、僕たち生物が眼を持ちはじめたのは5億4400万年前とのこと。

 カンブリア紀に三葉虫が眼を持ち、視覚ができ、光スイッチによって脳が爆発的に発達したために、生物の急激な進化が起こって、今日の動物の基礎が作られ、多様性が生まれたとされています。

 この仮説になぞらえるなら、僕たち生物は、眼によって今日までの進化があったわけです。そして、それと同じように、今日ではロボットが眼を持つようになりました。

 眼をもったロボットによる画像認識を例として考えると、ディープラーニングは脳における視覚野、イメージセンサーが網膜という関係になります。
 これまで眼がなかったがゆえにできなかったことができるようになり、ロボットの進化はさらにスピードを上げていくことになります。

 たとえば、ロボットがモノを持ち上げる作業は、これまでは人間の眼で確認して操作する、もしくは、あらかじめプログラミングで設定しておく必要がありました。
 しかし、眼を持ったことにより、ランダムな色や形のものでも、ロボットが自立して、それらを持ち上げることができるようになったのです。

 興味深いのが、ロボット工学者のハンス・モラベックらによる「モラベックのパラドックス」です。モラベックは「コンピュータに知能テストを受けさせたり、チェッカーをプレイさせたりするより、1歳児レベルの知覚と運動のスキルを与えるほうがはるかに難しいか、あるいは不可能である」と記しています。
 しかし、今ではそれを克服しているようにさえ思えます。

強いAIと弱いAI

 人間の知能拡張としてのAIが進化していくことで、Singularity(技術的特異点)への関心は否が応でも高まります。つまり、知能だけではなく、知性を持って、人間の能力を超えた機械に支配されるのではないか、という近未来ロボットへの恐怖です。

 AIが知性を持つことを「自我に目覚めた」と、映画『ターミネーター』では表現されています。

 では、「知能」と「知性」について考えてみましょう。多摩大学大学院の教授で、元内閣官房参与の田坂広志氏は、知能を「答えのある問いに対して、答えを見出す能力」、知性は「答えのない問いに対して、問い続ける能力」と定義しています。

 仮にこれをひとつの定義とするなら、AI(人工知能)は文字通り、知能を持つことはできるものの、知性を持つことはできないので、シンギュラリティの心配は起こらないと言っていいのではないでしょうか。

 僕たちが人工知能について心配をするのは、人間のような知性と意識を兼ね備えた「強いAI」に対してですが、現在は、人間の知能の一部を代替する「弱いAI」が限られた範囲において演算処理をしている状況です。

 このような現状のなか、僕たちがAIによるシンギュラリティを危惧して前に進めないのであれば、それは大きな機会損失とも言えます。

 世界的なテクノロジーの進歩の方向性と、日本国内で必要とされているテクノロジーへの切実感はまったく違います。これから日本は少子超高齢社会の到来によって、確実に労働人口が減っていきます。そのなかで現状を維持するには、少なくとも今の1.5 倍の生産性を達成しなければなりません。

 こうした課題を解決するためには、テクノロジーによる「身体機能拡張」と「知能機能拡張」の両方を活用しなければいけないことは明白ではないでしょうか。

介護分野のテクノロジーとの共存は最重要課題

 介護に限って言うなら、2035年の人材需給ギャップは、79万人との計算もあります(「将来の介護需給に対する高齢者ケアシステムに関する研究会報告書 (2018.4.9)」)。

 生産年齢人口が減るなかで、現在の特養等の介護施設基準である3人の利用者様に対して1人の介護士という基準をキープすることは、簡単なことではありません。

 「介護予防・日常生活支援総合事業(別名:総合事業)」などに全面的に取り組んでいくことで、最大で31万人の人材需要が抑制できるという意見もありますが、それでも約48万人のギャップが残ります。

 健康な期間が延びたからといって介護が必要にならないわけではなく、健康体から少しづつ弱っていく虚弱、要介護という「最後の10年」の問題は残るのです。


出典:厚生科学審議会地域保健健康増進栄養部会・
次期国民健康づくり運動プラン策定専門委員会
「健康日本21(第二次)の推進に関する参考資料」p25


 ですから、問題の解決策の本質は、どのように介護に携わる人材を増やすかだけでなく、まだまだ体力のある今、どのように効率を上げるか。これがもっとも重要です。

 300万人の需要に対して230万人の介護士ですから、生産性が約1.5倍向上すれば、現状の3:1 から4.5 人に対して1人の介護士でも、今以上の質を担保できるようになります。
 そのために必要なのが、テクノロジーです。もちろん生産性が1.5倍どころでなく、もっと向上していくのであれば、それに越したことはありません。

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