寒中お見舞い申し上げます。
早いもので、新年が明けてからもう7日以上経ちました。
2019年も長寿のMIKATAを宜しくお願い致します。


僕は年始早々、社会保障と命に関する「落合陽一×古市憲寿『平成の次』を語る #2『テクノロジーは医療問題を解決できるか』」という一記事に注目しました。

「テクノロジーは医療問題を解決できるか」というのは、僕の「未来考察」でも大事なテーマのひとつであり、同世代が語る内容に期待して読み始めました。

後半は「介護の分野でテクノロジーをどのように活用するか」という話ですが、前半の医療費と財政と命に関する記述は、彼らのように、日本を代表する若い論客でも安易にこういった発言をしてしまうのかと、驚きを隠せない内容でした。

これに反応したお二人の記事をご紹介します。

市川衛氏「死ぬ前1か月の医療費さえ削ればよい」落合陽一氏×古市憲寿氏対談で見えた終末期医療の議論の難しさ

佐々木淳氏「日本の医療を脅かすのは高齢者や終末期患者なのか?落合陽一氏×古市憲寿氏の対談に思う

それらを受けて、「落合陽一が文學界の『落合古市対談』で伝えたかったこと」の中で、

「労働力不足の解決によるQOLの向上と本来QOLで議論すべきところがコストの問題として安楽死尊厳死に繋がってしまったということが大きな問題です」として追記事を出されました。

ここまでが1月2日から5日までの一連の流れでした。

僕が長寿のMIKATAで連載している「未来考察」では、医療や介護におけるテクノロジーを活用した業務の効率化や、被介護者のQOLの向上は、必ず達成されるべき未来ビジョンとして考えています。

しかしそれは、すべての人が「幸せに生きることができる」ようになるための手段です。

社会保障が、人の命を線引きするものであるのなら、それは人が安心して暮らせるための社会保障ではないはずです。

もし、自分が85歳になった時、体は動き、仕事ではまだ判断できることがあり、家族との時間は幸せで、美味しいものを美味しいと楽しむことができる一方で、次第に物忘れが進み、同じ質問を幾度となく繰り返すようになり、「あなたは認知症ですね」と診断されたら……。
「このまま症状が進行したら、あなたはもう日本に必要ありませんから、安楽死しますか?」と尋ねられる社会を皆さんは望むのでしょうか?

「2025年に認知症患者が700万人を超えたらヤバい」と古市氏はサラッと発言されていますが、認知症症状だって千差万別だし、そこにはグラデーションがあります。

2018年11月に渋谷で行われた超福祉展の高瀬比左子さん主催イベント「未来をつくるDiversityカフェ」でご一緒させて頂いた丹野智文氏は、若年性アルツハイマー型認知症と診断された方ですが、彼のメッセージでこういうものがありました。

「目が悪くなったとしても1.0~0.1まで度数が違って、それに合った眼鏡をかけますよね? 認知症も同じです。認知症と診断されたからといって、すなわち社会的弱者として見なされる存在ではありません」

私たちが目指すべきは、700万人が認知症になったら困る、という日本ではなく、認知症であっても、安心して住みやすい地域創りなのではないでしょうか。

「超幸齢社会をデザインする。」

僕は長寿のMIKATAにおいて、このメッセージを訴え続けてきましたが、改めてこの一連の流れを見ながら、「未来考察」を通して語りたいことが明確になりました。

僕はこれまで、「認知症フレンドリー社会を実現する」を2025年までに実現したい目標として考えてきましたが、広く世の中を俯瞰するうち、「子どもや子育てママ・パパにももっとフレンドリーな社会であってほしい」という考えが浮かんできましたし、「障害者やLGBTなど社会的マイノリティと呼ばれる人たちにもフレンドリーな社会であってほしい」という考えも見えてきました。

このように考えていくと、幸せな社会を実現する一歩として、お互いを尊重し合うフレンドリー社会の構築が必要なのであり、その結果として、「700万人が認知症になったら困る」という日本でなく、「認知症であっても、安心して誰もが住みやすい地域が創られる」のではないでしょうか。

その実現に向けて、今年一年全力で頑張って参ります。

と締め括ろうとしましたが、

僕自身も、「フレンドリー」をテーマとして実践していきます(笑)。

今年一年、どうぞ宜しくお願い申し上げます。