Super GB

ラリー人生に
ゴールなし

006
菅原義正
Yoshimasa Sugawara

「挑戦をやめたらそこで終わり」
世界記録保持者
菅原義正さんの生き様

わたしたちは、「おじいちゃん」「おばあちゃん」という言葉を高齢の方に対して何気なく使う。しかし人生100年時代といわれる今、70歳なんてまだまだ若い。超高齢社会が加速する中でも、高齢であることをみじんも感じさせない、それどころか若者以上にバイタリティに満ち溢れた活動を続ける人がたくさんいる。想像を絶するほどタフで、趣味も仕事も全力で楽しむそんな人たちを、称賛の気持ちを込めて「SGSB (Super Great / Super Beauty)」と命名した。彼ら彼女らの輝きの源はどこにあるのか。その秘密を知りたくて、そして学びたくて、会いにいくことにした−−。
世界一過酷と呼ばれるラリーに、最多連続出場回数を誇る鉄人ラリーストの菅原義正さん。77歳を数える今でも現役で活躍し、ハンドルを握ることをやめていない。何が菅原さんに過酷な競技に向かわせるのか、そこにはいつまでも人生を輝かせ続ける秘訣がきっとある。ラリーの魅力と理由、今後の決意についてお話をうかがった。
photos : Nobuaki Ishimaru(d'Arc)
text : Higashi Murayama

バイクで一気に
富士山を登頂した

Q:菅原さんは41歳(1983年)のときから世界一過酷なラリーと呼ばれるダカールラリーに参戦し、2019年までで36年連続出場をされたのですが、41歳以前まではどのようなキャリアを積んでいたのですか?
菅原義正(以下、義正):おもに国内の四輪レースを中心に参戦していました。24歳のときからです。
私は子どもの頃からバイクと車が好きで、大学時代には自動車部に在籍していました。1965年から1981年の17年間で国内59のレースに参戦してきました。
Q:プロレーサーになるのが夢だったんですか?
義正:いや、実は現在もプロじゃないんですよ。日野自動車とは協力していますが、プロ契約は結んでいません。過去には自動車メーカーとプロ契約をしたこともありますが、ほとんどプライベートのようなスタンスでラリーやレースに参加してきました。
Q:ダカールラリーに参戦したきっかけはなんだったのですか?
義正:冒険心をかきたてられたからですね。現在はレース形式が変わってしまったのですが()、私が参戦し始めた頃は「パリ・ダカールラリー」の名称で、フランスのパリからセネガルのダカールまで約20日間かけて、距離にして1万数千キロメートルを走るレースだったんです。砂漠や荒野を走破し、いくつもの街を抜け国境を越えていく中で、人種や文化が変わる瞬間を目の当たりにできる。これがとても冒険的で刺激があり、楽しかったんですよ。
※ 2019年のダカールラリーは史上初の南米・ペルー1国での開催。約7割が砂漠地帯の約5000キロメートルを走る戦いとなった。
Q:ダカールラリーのクラスは大きく分けて二輪、四輪、トラック(カミオン)があると聞きましたが。
義正:1年目と2年目は二輪(バイク)での参戦でした。お金がないものだからバイクでしかエントリーできなかったんです。当時はスポンサーもいないので完全にプライベートでの出場でした。参加するのに当時で200万円くらいかかりましたけど、貯金してね。
Q:それまで長く四輪レースを続けてきたのに、二輪で出場することに不安はなかったのですか?
義正:いや、バイクも乗ってましたから。昔、富士山をバイクで登頂したいと思って挑戦してみたことがあるんですよ。途中1回も足をつかずにね。
いろんなコースを試しながらもなかなかできなくて10年かかったけど達成できました(編集部注:1982年10月15日登頂)。今ではもう、バイクで富士山を登頂することはできませんが、30分くらいで行けるんですよ。うれしかったですね。
ともに日野レンジャーで参戦した次男の菅原照仁さん(左)と。
2019年大会で照仁さんはトラック部門の排気量10L未満クラスで優勝。
日野チームスガワラはクラス10連覇を達成した。

1日17時間、
ハンドルを握って走り続ける

Q:今年のダカールラリー参戦で、連続出場記録を36回にのばし、ご自身のギネス世界記録をさらに塗り替えられました。数字の目標などはありましたか。
義正:数字への意識やこだわりはまったくありません。10年でダカールラリーをやめるつもりだったくらいですから。
三菱パジェロに乗って参加していた時期もあるんですよ。三菱自動車から声をかけていただいて、3年目から7年間乗りました。10年目は、まだ挑戦していないトラックで参戦するために、日野自動車にかけあいました。それで承諾をいただき、トラックでエントリーしたわけです。
Q:当初想定されていた10年連続出場を果たしたわけですが、結果的には義正さんはダカールラリーから離れなかったんですね。
義正:なにしろ、トラックの運転がとてつもなくおもしろかったんですよ(笑)。もっとやりたい気持ちが収まらずとうとう今日に至ったというわけです。
Q:しかしダカールラリーは世界一過酷ともいわれていますよね。一体どれほど過酷なラリーなのか教えて下さい。
義正:まず、何日間もずっと、ほぼ運転しっぱなしでしょう。かつ1日17時間ハンドルを握ることもあります。トイレに行くとタイムロスになるから、できる限り食事と水分補給を控えなくちゃならない。とはいえ日中の砂漠地帯は気温40℃を超えますから水は飲みたくなります。
砂丘なんかは非常にアップダウンが激しく、タテに重力が5Gくらいかかることもあります。ドライバーも助手席にいるナビゲーターも食事なんてとてもできません。

あと、ゴールにはメカニックのメンバーがいますが、砂漠でタイヤ交換や修理をするとなれば、ドライバーとナビゲーターの2人だけでやらなくちゃならない。トラックのタイヤは1本150kgくらいありますからね。
私はメカをいじるほうも好きなのですが、ハンドル握っているときの戦闘的なモードと、冷静にメカニックやってるときのモードとを切り替えるのはけっこう大変なんですよ(笑)。
2019年大会の画像。義正さんは日野レンジャー1号車に乗車。
起伏に富んだ砂丘のステージが続く、難易度の高い大会だった。
(画像提供:日野自動車株式会社)

挑戦に終わりはありません

Q:振り返って特に危険だと感じたエピソードはありますか?
義正:毎回過酷ではあるけど、地雷原を走ったときかな。前を譲ったトラックの後輪が地雷に触れて、車体後部が吹っ飛んだんです。それを目の前で見ました。
Q:それほど過酷なレースを続けるモチベーションはなんなのでしょうか。
義正:うまくいかないからでしょうね。「次回はもっとうまく走れる」と思うんです。でも、うまくいかない。だからまた、「次こそは」となる。ゴールしたときにはもう次のラリーのことを考えていますよ。だけど、思い通りにいくことなんてないんだろうね。だから、私にとってゴールはスタートで、終わりなんてないんです。
Q:ラリーストとして日頃心がけていることはありますか?
義正:1年を通して大食をしないように心がけています。ダカールラリーの最中は飲食が思うようにできないので、胃を小さくして、その状態を維持するようにしています。
筋力トレーニングは特にしていませんね。体操教室に通って体幹とバランスのトレーニングをするくらい。あとは今でもオートバイラリーに出場して動体視力を養ったりもしています。
Q:最後に人生を楽しむ秘訣を教えて下さい。
義正:元気である限り、何事にも挑戦することじゃないでしょうか。
3年くらい前に、ラリー一辺倒の人生じゃつまらないと思い、二級船舶の免許を取得しました。「70歳を超えて取る人なんていませんよ」と言われましたね(笑)。
桜が咲いたら、東京湾や隅田川から花見をするのが楽しみです。水上なら人込みもなく、ゆっくり桜を満喫できますから。
2019年大会初日の義正さん。
SS (スペシャルステージ) を終えたあとにもかかわらず、はつらつとした表情。
(画像提供:日野自動車株式会社)

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