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山本左近の未来考察『医療福祉×テクノロジー』

ドイツ人禅僧・
ネルケ無方さんに聞く

老いの苦しみから
自由になる方法は!?
日本は2007年に全人口の約21%が65歳以上となり、世界に先駆け「超高齢社会」に突入した。2025年には65歳以上の割合が約30%、10人に1人が認知症になるといわれている。老いを否定的にとらえ、「老いたくない」と思う人は少なくないようだ。また、「長生きしたくない」と考える人もいる。しかし、元来、長寿とは喜ばしいことであったはず。私たちはなぜ、老いを不安に感じてしまうのか。老いの苦しみから自由になる方法はあるのか。人生100年時代を自分らしく生きる心がまえを、兵庫県の山奥に佇む曹洞宗・安泰寺の住職であるネルケ無方さんに聞いた。
photos : Nobuaki Ishimaru(d'Arc)
text : Yuko Ogawa

これまでの日本をつなぐ「窓口」に

――ネルケ住職はドイツ生まれですが、日本在住歴はすでに27年と聞いています。「人生100年時代」といわれる今、私たちは長い人生とどのように向き合えばいいのでしょうか。

私の本の読者や講演にいらしてくれる方は60~70代が中心で、仕事や子育てといった自分の役割をいったん果たし終えた人がほとんどです。今は、そこからの人生が長い。あと30年は生きるかもしれません。そのことに気づいて「これからどうしよう」と思い悩んでいる人は大勢います。

ただ、こう思うこともできます。「この30年間は何をするにしたって私の自由だ!」と。インターネットを使って自分の考えを発信してもいいし、ゲートボールを楽しんでもいい。犬の散歩をするのでもかまいません。

自分の得を考えず、人のために何かをする方法もあります。法華経でいう「菩薩」の生き方です。ボランティア活動をするとか、シルバー人材として人のために何かをするとか。孫を預かってあげるのもいいでしょう。

戦争体験はもちろんのこと、1964年に開催された東京オリンピックや1970年大阪万博の思い出など、日本の歴史を子どもたちに語ることは、お年寄りだからこそできる重要な仕事です。これまでの人生で得た知恵を若い人たちに貸してあげるのもよいでしょう。65歳でリタイアしてもできることはたくさんあります。シルバー世代にはぜひ、若い世代とこれまでの日本をつなぐ「窓口」になってほしいですね。

病気のときは病気をする。それを受け入れる

――年齢を重ねて、認知症になられる方もいらっしゃいます。ある認知症専門医は、「なぜ私が認知症になったのか」と患者に問われ、答えられなかったとおっしゃっていました。神仏や運命はなぜ、人生の終盤にこのような試練を人に与えるのでしょうか。

「なぜ自分は認知症になったのか」。この問いは「なぜこの親から生まれたのか」「なぜこの国に生まれたのか」「なぜこの顔で、この頭で、この体なのか」といった問いと同じです。つまり、答えは誰にもわからない。

お釈迦様は「すべては苦だ」とおっしゃいました。生まれることも年を重ねることも、病気をするのも死ぬのも、すべてが苦しみだといわれるんですね。そして、この苦しみから自由になることが仏教の目標とされています。では、どうしたら苦しみから自由になれるのか。

トランプゲームで、自分に配られたカードが良くなかったとしましょう。くよくよしたり、人をうらやんだりするばかりでは、ゲームはいっこうに始まりません。手持ちのカードを「これが私の運命だ」と受け入れて、「今あるカードで最善のプレイをしよう」と決めるしかない。人生も同じです。

結局、私たちにできることは、受け入れるか、受け入れないかの選択だけなのです。ですから、病気のときは病気をする。それを受け入れる。死ぬときは死ぬ。それを受け入れる。これが苦しみからの解放だと思うんですね。

介護の苦しみについても同じことがいえるのではないでしょうか。私自身は介護をした経験も、された経験もまだありません。50歳から70歳まで20年間、ずっと母親の介護をされた先輩がいますが、その苦労は私には想像できません。ただ、「なぜ私の親が……」といくら思っても答えはないのです。

先ほどの話にもあったように、リタイアして何もすることがなくて不安だ、と訴える人は多い。なぜ不安かというと、必要とされていないと感じるからです。人間にとって一番辛いのは、必要とされないこと。子育ては大変ですが、子どもという自分を絶対的に必要としている存在がいるという喜びがあります。介護もまた、相手から必要とされることです。

介護の真っ最中に必要とされるありがたさを感じるのは難しいかもしれません。でも、親が亡くなったとき、「必要とされていると実感できることは、とてもありがたいことだったんだ」と気づくのではないでしょうか。

あるのは今日という1日だけ

――ネルケ住職は今年50歳を迎えられました。老いること、死ぬこととどう向き合っていらっしゃいますか。

日本人の平均寿命(※)は、日数に換算すれば3万日以上になります。1日がトランプのカード1枚だとすると、生まれた時点で手元には3万枚のカードがあり、それを1日1枚ずつ返していく、と考えることができます。
※84歳・2017年厚生労働省調べ


逆に「毎日新しい1枚をもらっているんだ。年を重ねるたびにカードが増えて豊かになるんだ」とプラスにとらえる人もいるかもしれません。ただ、どちらの場合も、「いざ」というときになればカードの山はなくなります。だから、多くの人は年をとることをつまらないと思い、あるいは恐れます。

けれど、私は思います。本当は、カードの山などないのだと。カードの山が少しずつ低くなるのでも、少しずつ高くなるのでもなく、あるのは今日という1日だけ。神様か仏様かわからないけれども、目が覚めたら1枚のカードをもらう。そして、寝る前に「ありがとうございました」と言って返す。20歳も50歳も80歳もみんな同じです。

認知症になって自分の子どもの名前すら忘れてしまっても、1日はちゃんと与えられています。なぜ、自分にこの1日が与えられるのか。隣の人がどうしてまったく違う1日を生きるのか。その答えは、誰にもわかりません。自分にできるのは、カードを「ありがとう」と受け取って、存分に生かすこと。ただそれだけです。

私個人についてお話ししますと、あと20年、30年、健康に生きていられたらうれしいですね。でも、永遠には生きたくありません。50年後には、おそらく私はこの世にいません。そう考えると、むしろホッとします。 

年をとることは楽しみでもあります。これまで見えていなかった世界が見えたり、初めて体験する出来事があったりしますから。たとえば、2~3年前、急に本が読めなくなりました。老眼です。そのとき、不思議な満足感がありました。「あぁ、自分もそういう年になったのか」と。確実に年をとって、確実に死に向かって生きている。それは悲観することではなく、素晴らしいことです。

ネルケ無方

Muho Nölke

1968年3月1日、旧西ドイツ・ベルリン生まれ。7才の時、母と死別してから人生に悩む。16才で坐禅と出合う。高校時代から禅僧になる夢を抱いて、坐禅道場に通い続ける。1990年、春は京都大学の留学生として来日、秋から兵庫県の但馬地方にある曹洞宗・安泰寺に上山。半年間の禅修行。大学のドクターコースを中退、1993年から安泰寺で出家得度。8年間の雲水生活を経て嗣法。2001年から大阪城公園で「ホームレス雲水」として毎朝の坐禅会を開く。2002年に師匠の訃報を聞き安泰寺に戻り、檀家ゼロ、自給自足の寺の堂頭(住職)となる。国内外からの参禅者・雲水の指導にあたって坐禅三昧の生活を送っている。主な著書『迷える者の禅修行』、『裸の坊様』、『日本人に「宗教」は要らない』、『曲げないドイツ人 決めない日本人』、『今日を死ぬことで、明日を生きる』など多数。

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