COLUMN

家族の未来図②

いつかやってくる
「その時」へのココロ構え 
PART 2
認知症。愛する人を支えるために、家族はどのように寄り添えばよいのだろう。
それは、超高齢社会を迎えた日本のいまを生きるあらゆる世代が感じていることでもあり、そして、それは幸福なとは何か? ということへの問いでもある。
父や母、妻や夫を、家族が支えるための力を蓄えるためには、ときに人の力を借りることも大切だ。
PART 1に引き続き、豊橋市郊外にある福祉村病院を訪ね、認知症と向き合う「家族の未来図」について考えてみた。
photos : Hitoshi Iwakiri
text : Hisato Kato

家族で寄り添う−Sさんの場合。
「ここは私たちにとって、安心できる大切な環境」

 Sさんは、認知症の進んだ義理のお母さんを家族で支えている。

 当初、お母さんは、アルツハイマー型認知症の初期症状は出ていたものの、長年連れ添った義父の支えもあり、自宅で過ごしていた。しかし、義父が介護疲れから腰痛になり、1週間ほど寝込んだのがきっかけで、5年前にグループホームに入ることになる。その当時の介護認定は要介護2だったという。

 グループホームは、食事や洗濯など入居者が協力しながら生活を営むが、その後も、Sさんら家族は、介護を人任せにすることに、後ろめたさを感じ続けていた。ホームからは無理に分担しなくてもいいと引き留められたが、特別扱いに負い目に感じてしまうSさんら家族の想いがあった。しかし、少しずつ症状は進み、介護認定が要介護4になり、そうした家族での分担も難しくなったのを機に特別養護老人ホームの第二さわらび荘に移ることになった。

 「認知症が進み、母の場合は他人のものに手をかけてしまったりするようになりました。もちろん、悪気もないですし、きれい好きがこうじてということもあったのですが、ご飯も作れません。人と同じようなことができないんですね。もうひとつの理由は、グループホームですと、病気になったときに家族が病院に連れて行くことが求められます。急に言われても難しい場合もあり、頻繁になる可能性もありました。さらに、義父が病気を患い、入院が必要になりました。両方を看るのは難しいということで、うまくいく方法はないかと模索していたときに、ずっとお世話になっている福祉村病院に近い特養の第二さわらび荘に空きがあるということで、ここに決めました。おかげさまで、義父の負担も減りましたし、私たちが義父のケアをする時間もできました」。

 普段、看てもらっている病院の、同じグループ内の特養だからこそ、継ぎ目のないない治療が受けられ、精神的にも安心できる。それは、このさわらびグループ、福祉村病院だから可能なことではあるが、医療や介護施設のあるべき本来の姿、親しい人を見守る家族にとっては、とても大切なことだ。

 「去年の夏には、誤嚥性肺炎にかかったのですが、迅速な発見と早めの対処で2~3週間で完治することができました。やはり、看護師さんが常駐していて、近くの病院ですぐに看てもらえるのは、私たち家族にとって、とても安心できる環境なんです」。

支える力を蓄えるために、人の力を借りよう。

 そんなふうに、家族ぐるみで身内を支えてきたSさんに、認知症との向き合い方について聞いてみた。

 「母をずっと看てくださっている主治医の先生から伺ったのですが、『アルツハイマー病という病気は治るというものではない。ただ、その人が幸せだと感じる環境、その心持ちを伸ばすことはできる』と。みんなの気持ちで優しく接して、自分でやれることは自分でやりながら、人間らしい生活を少しでも長く送る。そこを目標に、いろんな人の力を借りながら、患者さんに寄り添っていきましょう、と言われました。そこで気持ちが決まりました」。

という。

 「あきらめるでもなく、変な希望を抱くでもなく、幸せな時間を過ごしてもらうことに集中するということです。どう行動すれば、母にとっていいのか? に集中できたんです。それは自分一人の力では無理だなという認識にもつながりました」。

 ここで初めて、Sさん家族は、ずっと抱き続けた後ろめたさから解放されたという。
 認知症になったからといって、すべてをあきらめるわけではなく、奇跡を待つのでもなく、あくまでも現在の状況を見据え、その中で最良の選択をする。世の中が抱く“悲惨”な認知症の症状と言われるイメージの多くは、いわゆる周辺症状と呼ばれるもので、すべての認知症患者に表れるものではない。むしろ、記憶障害や見当識障害があっても、環境を整えることで幸せに生きることは十分に可能なのだ。
 その人、その家族にとって、介護のかたちは様々だ。前編でご紹介させていただいたご家族のお話にもあるように、もちろん、認知症の身内を在宅で介護するのは生易しいものではない。まして1人で背負い込み、必死の思いで介護をしても、心身共に消耗し、その挙げ句に介護者と患者本人の幸せを同時に奪ってしまう可能性がある。
 そのために地域の特養やグループホームが存在するのであって、そこに助けを求めるのは介護を放棄したことにはならない、ということを伝えておきたい。施設に全て任ねるわけではない。支えはあくまでも身内であり家族だ。その「支える力」を蓄えるために、人の力を借りるのである。

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